データベース『えひめの記憶』
中山町誌
五、 日露戦争下の教育
明治三七・三八年の日露戦争は、大国ロシアを相手としただけにわが国運をかけての戦いであった。国内では文字通り挙国一致の体制が敷かれ、教育界もまた日清戦争の時とは比較にならないほど戦時色に塗り潰された。
愛媛県知事菅井誠実は、開戦三日後の明治三七年二月一三日に「日露交戦ニ付生徒教育心得」を発した。その中で、各学校では生徒に対して義勇奉公の趣旨を貫くこと、従軍兵士の家族や遺族を慰問すること、質素・倹約の気風を養って非常時に備えることなどを訴えた。
小学校の戦時教育
県内の小学校では、県知事・郡市長の訓令などをもとに戦争関係の教材を指導に組み入れることで、国家社会の求める子供の育成を図った。この戦時教育の模範例として松山第一尋常小学校(現番町小学校)のものを紹介する(「愛媛県教育史」第一巻(県教委)より)。
(指導内容) (略)
(訓育指導)
一 詔勅の趣旨をもとに奉公の精神を表わす
一 過度の敵愾心、せまい愛国心を持たせない
一 出征軍人に対して同情の念を持ち、自分の在り方を考え実行させるなどとなっている。
松山第一尋常小学校では、「いくさの時のこころえ」を作成して、児童に配布した。一八項の内から数例を紹介する。
いくさの時のこころえ
一 両陛下をはじめ、皇族殿下にも、こんどのいくさのことについては、ひるもよるも、ごしんぱいなされるのをおもふて、皆さんはしっかり自分のおけいこをはげみ、おぎょーぎをよくせねばならぬ。
一 ロシヤであるからとて、なんのかんがえもなく、その国の人をいやしめばかにして、よその国の人の心もちを、わるくしてはならぬ。
(中略)
一 いくさのことについて、みだらなはやりうたや、ロシヤをばかにした軍歌などができても、おもしろがってうたふてはならぬ。
(中略)
一 父母にいひつけられたことは、くるしいことでも、がまんしてはたらかねばならぬ。