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中山町誌

三、 義務教育への就学奨励

 明治三三年の小学校令で就学の義務が明確にされ、「市町村立尋常小学校ニ於テハ授業料ヲ徴収スルコトヲ得ス」として、公立義務教育学校での無月謝制を定めたが、愛媛県における就学率は、従来一度も全国平均に達したことがなかった。このため、時の愛媛県知事篠崎五郎は「児童就学勧誘ノ告諭」を発した。
 それによると、「現在の就学率は五八パーセントであり、無学の者が三分の一に達している。今後有為の人材を必要とするから、就学期を控えたこの機会に極力就学を勧誘されたい」と督励している。
 就学奨励の具体策として、県では明治三一年二月一日に「市町村立小学校々旗規程」を定めた。これは、校旗に付した白線の数によってその学校の就学状況を明示させ、就学率の向上を競わせることにしたのである。即ち、同規程では五間以上の旗竿と縦六尺横一丈の木綿を各学校で準備させ、その木綿を赤白赤各二尺あてに色別けしたうえで竿に吊し、これを校旗として開校中必ず掲揚させた。(図1―2)校旗には、その学校の就学成績がわかるように白線が入れられることになっていた。つまり、前年末学齢児童一〇〇人中修学人員九〇人以上、卒業人員三〇人以上、在籍生一〇〇人中日々出席数九〇人以上の場合は、右図のように上赤の部分に白線が五本人った第一等旗の掲揚を認めた。以下成績が悪くなるに従って白線の数が四本、三本と減るようにした。
 県内市町村では就学勧誘に全力を傾倒し、各地で就学奨励会を結成し、規約を定めて就学奨励に取り組んだ。
 松山市では一貧民就学者に学用品を貸与したり、金銭物品を給与したり、上浮穴郡弘形村では、皆勤生徒に金一円、二〇〇日以上出席の者に金五〇銭を賞与し、逆に正当な理由もなく欠席して出席一〇〇日に満たない長欠児童の保護者から金二〇銭、五〇日以下の場合には金五〇銭の過怠金を供出させたということである。
 このような努力があって、明治三五年(一九〇二)には就学率が九一パーセントを突破したため、明治三五年一月二三日に小学校校旗規程は廃止された。

図1-2 小学校校旗図

図1-2 小学校校旗図


図1-3 就学率の変遷

図1-3 就学率の変遷