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中山町誌

四、 組合立・町村立高等小学校の設置

 高等小学校は明治二〇年時各郡役所単位に一校ずつ設置するということで、風早(現北条市)・和気・温泉・久米四郡の公立校として松山に一校、下浮穴・伊予ニ郡の公立校として郡中に一校設置された。しかし、郡役所に一校では生徒の通学は不便であったし、その学校が位置している町村の専有物のような感があった。それで、設置場所から遠い村々は、高等小学校経費の町村一律の賦課は理に合わないと主張した。郡連合会の席でもしばしば論議を呼び、私立高等小学校設置の動きが起こった。そして、明治二一年(一八八八)に長浜・二四年には北条に私立校が開校した。
 この傾向は全国的なものであったので、国は市町村単独もしくは町村学校組合で高等小学校を設置することを認めることになり、県も明治二五年設置規準を定めた。それによると、高等小学校はなるべく多数の町村を組み合わせて設置すること、少なくとも二学級以上を編成できる就学生徒がいること、尋常小学校に高等科を併設する時は、尋常科の児童の過半数が高等小学校の教科を修業する場合であること等が示されている。