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中山町誌

四、 小学校規則・生徒心得

 愛媛県では、県内共通の規則を設定する必要を感じ、明治一〇年二月に「愛媛県小学校規則」として公布した。同規則は、通則・試業規則・入学規則・生徒心得・罰則等と教則から成立している。
 通則ではまず小学校の意義をあげ、ついで小学校を上等小学・下等小学各八級に分けて一級六ケ月の課程とした。毎週三〇時間の修業とし、修業時間等も定めている。
 休日は紀元節・天長節・孝明天皇祭・神武天皇祭・神嘗祭・新嘗祭・国幣社祭・氏神祭・日曜日・冬期(一二月二六日~一月七日)・夏期(七月一六日~八月十五日)が規定された。また、授業料は一ケ月五銭、転入者は試験の上適当な級に編入させることになっていた。
 生徒心得では、学校では何事によらず教師の指示に従うこと、物品の貸し借りの禁止、けんか・雑談・らく書きの禁止、教師は勿論同輩に会ったら丁寧に礼をすること、病気で三日以上休む時は書面で届け出ることなどがあった。
 教則は、文部省が制定したが、教則どおり授業を進めることは無理であった。修身は教科書もなく、唱歌など何をどのように指導するのかわからない有様で、読書、算術、習字が主となっていた模様である。
 そこで、明治一一年三月、上等小学教則・下等小学教則の内の、下等小学教則をさらに甲種と乙種の二種に分けることにした。
 乙種教則は、村落教則ともいわれ、読法・問答・習字などの学習の程度を下げ、算術は珠算に力を入れ、日常生活上必要な学習を重視した教則であった。この甲種・乙種いずれの教則を採用するかは、学区取締や派駐訓導、区戸長が協議して決定した。甲種を選んだ学校は少なく、県下でわずか一割程度であった。
 県はさらに、明治一一年(一八七八)六月、家の手助けのため就学できにくい子女のために、もっと学科を簡単にした丙種教則まで設けたが、中山町ではこれに該当する例はなかったようだ。