当時は学齢児童を就学させるのに苦労した。明治八年(一八七五)からは、学校数の急増や、県のきめ細かい就学督励策等によりようやく就学率は高まったが、なお全国平均には遠く及ばなかった。 また、学区取締や区戸長の強い勧誘によって就学したものの、中途で退学する者が少なくなかった。不就学の原因は、読み書きそろばんを重視する寺子屋教育で十分という意識が強く残っていたこと、生活の困窮、進級の厳しさなどだといわれている。
図1-1 就学率の変遷