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中山町誌

第一節 幕末・明治維新の教育

 江戸幕府が創設した昌平坂学問所に倣って、全国各藩では藩士の教育機関として藩校を設立し、主として朱子学を主流とする儒学及び武術を修業させた。伊予八藩では、延享四年(一七四七)大洲藩の止善書院明倫堂を最初として、文化二年(一八〇五)には、八藩すべてに藩校が設立された。明治維新後は庶民にも開放されて存続し、廃藩置県により県校と名を改め、その後の大規模な行政改革により統廃合されながらも学制発布まで続いた。
 一方、庶民の子弟に対しては、寺子屋が伊予全域につくられ、読み・書き・そろばんの個人指導が行われ、「しつけ」も教育された。維新後も変わりなく続き、明治五年(一八七二)頃には、県下でその数七〇〇に達した。

表1-1 伊予八幡の藩校

表1-1 伊予八幡の藩校