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中山町誌

一、 郵便

 郵便局のできるまで
 封建制初期(鎌倉時代)から、官用には後の飛脚制度に似た通信手段があったが、江戸時代となって庶民の通信を扱う伝馬や飛脚の定期便ができた。
 この頃、藩の配下の奉行所宅や各村々の庄屋との連絡は、常設の小走りによって口頭で伝えられ、時には、村民の集会によって命令が伝達、徹底された。このように小走りで口頭という不完全なかたちながらも上意下達の方法が取られていたが、私信逓送ができてからも、受取に対する方法などは極めて幼稚であった。
 江戸時代になって、幕府は街道に宿駅を定め、伝馬の規定を作り、休泊・運輸・通信の用をなした。藩制時代愛媛県内にも街道が通じており、中山町はこの街道の主要通過地で、これが明治になって郵便線路開設の基礎となった。
 明治新政府は、駅逓司を設けて、運輸・通信の行政を行った。明治三年(一八七〇)、前島密が駅逓権正に就任し、郵便創業に関する建議を提出した。明治四年、郵便創業の布告が太政官から発せられ、切手や書状集箱(郵便ポスト)が作られ、書状を出す人の心得などが定まり、新式郵便が発足したのである。この年二月、中山郵便御用取扱所が泉町に開設され、初代局長に後藤孫七郎が就任した。
 明治五年、郵便の全国実施が行われた。明治初期の郵便路線図を見ると、本県は、石鉄県管内が川之江・関の峠・西条・今治・松山、宇和島県管内は郡中・中山・内子・大洲・八幡浜・卯之町・吉田・宇和島に郵便取扱所が設けられ、また明治七年には、県内各地で支線の整備が進み中山―惣津も開設された。
 また同六年には全国均一料金制が実施され、一通二匁までごとに二銭と定められた。

 中山郵便局
 郵便事業と中山郵便局のあゆみをみると次の表4-6のとおりである。

 佐礼谷郵便局
 佐礼谷郵便局は中山郵便局より遅く、昭和二年三月二六日、佐礼谷郵便取扱所として佐礼谷甲八五六番地(現在の小学校前)に設置され、初代局長として野口順吉がなり、無集配局として発足した。発足と同時に郵便引受け・為替・貯金を取り扱った。
 昭和一五年一二月一日佐礼谷郵便局となり、佐礼谷村丙一〇一〇番の二に局舎を移転し、保険・年金の取り扱いを始めた。
 同一六年一月二六日、電信電話の取り扱いを始め、一八年九月二一日竹岡善忠が二代目局長となり、続いて二三年一月七日、中山郵便局長豊谷麟太郎が局長を兼ねたが、同年六月一五日四代局長として飛田吉一が就任した。そして、昭和二四年九月一日、佐礼谷村丙一〇六九番地の七へ局舎を新築移転した。
 昭和二九年七月一日から電話交換を始めたが、当時四五台の加入であった。
 なお、中山町の長沢・双海町の犬寄・高見・東峰・伊予市の平岡は、電話・電報の受持区域とされこの業務は昭和四七年一月二一日まで続けられたが、佐礼谷電話交換所の新設によるサービス開始によって業務廃止された。
 昭和六一年一二月一日、佐礼谷丙一〇六九番地二三へ局舎を移転したのが現佐礼谷郵便局である。
 四代目飛田吉一局長は、昭和六三年三月三一日在職三九年九ヶ月余で退職し、五代目は中山郵便局長小笠原吉夫が兼務したが、同年五月九日六代局長亀井愼滋が就任し現在に至っている。

図4-1 明治初期の郵便線路図

図4-1 明治初期の郵便線路図


表4-6 中山郵便局のあゆみ①

表4-6 中山郵便局のあゆみ①


表4-6 中山郵便局のあゆみ②

表4-6 中山郵便局のあゆみ②


表4-6 中山郵便局のあゆみ③

表4-6 中山郵便局のあゆみ③


表4-6 中山郵便局のあゆみ④

表4-6 中山郵便局のあゆみ④


表4-6 中山郵便局のあゆみ⑤

表4-6 中山郵便局のあゆみ⑤


表4-6 中山郵便局のあゆみ⑥

表4-6 中山郵便局のあゆみ⑥