データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

中山町誌

三、 陶石

 陶石とは原石だけで陶磁器を作ることができる鉱石をいい、主に石英と絹雲母からなる灰白色の塊状鉱である。本町安別当・雨翅両地区の陶石鉱床はさきに概説したとおり、石鎚火山岩類の安山岩・石英粗面岩・石英班岩等が陶石化作用を受け鉱床を形成しているものであって、世に「砥部陶石」と概称されている。
 安別当地区の陶石は、明治中葉、伊予市大平の人玉井力蔵によって発見せられたと伝えられている。ここでの採掘は登録する必要がなく、露天掘りに近いため素人でも用意に着手できる面があった。最初にこれを稼行したのは、当時伊予市三島の陶器商金岡亀十郎であったという。ついで大洲市新谷の池田貫兵衛による郡中港の伊予陶器㈱が長く経営を続け、伊予窯業㈱を経て終戦後、名古屋窯材㈱・砥部町の伊予陶磁器協同組合等に引き継がれた。古くは、伊予市・砥部町等における地方窯業の需要に応じ、近くは砥部焼を助けつつも、遠く岐阜県に進出して耐火煉瓦の原料ともなっていたが、昭和三七年に休山したまま今日に及んでいる。
 古来、他種の鉱山にみられるような激しい経営の消長はなかったが、日中戦争の最中、国の要請によって三、四〇人の韓国人労務者が二年間ばかり就労して増産に当たったことがある。採石の度合いが進むにつれ坑をなしているところもあるが、休山当時の月産は約一二○トン、一〇人の地元民が就業していた。当時の価格はトン当り上質のもの五、〇〇〇円、下等のものは一、〇〇〇円程度であったという。
 昭和三九年に入って、雨翅地区の陶石を砥部に販売することが行われているが、個人の片手間の仕事程度に過ぎなかった。