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中山町誌

二、 工業

 中山町では、古来よりろうそく・藍・煙草等が生産されていたことが文献に残っているが、これは小規模のものであり、家内工業的なものであったと思われる。
 明治以降、原動機が生産に使われるようになり、中山町でも製紙・製粉・精米等に原動機が利用されるようになった。しかし、いずれも家内工業又はマニファクチュア(工場制手工業)の域を出なかった。
 今は、そのほとんどが消滅している状況である。
 明治四三年刊の郷土誌より抜粋すると次のとおりである。
 「沿革―山間ノ事ニテ農家ノ副業トセシモノノ発達シタルニスギザレバ別二機械工場ヲ有スルガ如キ大規模ノモノナク近来稍々発達ノ緒ニツキ将来機械工業ノ勃興ス機運二向ヘリ」

 豊岡工業団地造成と工場誘致
 我が国経済は昭和三〇年代初期から高度成長期に突入し、三五年頃には神武景気といわれるような好景気の中で飛躍的発展を遂げた。この経済発展の影響から、農村地域においては都会に就業の場を求めて挙家脱農を含めて、住民の転出者が増大していった。
 中山町においても、昭和三五年には九、一〇八人いた住民が昭和四五年には六、七八四人となり、一○年間で二五・五パーセントも減少し、特に流出人□の大半は若年労働力であり出稼ぎ者も増加していった。このことから農林業従事者は、老齢化・女性化と兼業化が進み過疎化が進展していった。
 このような状況の中で、従来から農林業を主産業とする本町においては、工場を誘致して就業の場を確保し、農工一体による発展を目指しての産業構造の改革が課題とされるようになり、企業誘致に最大限の努力を傾注することになった。
 国は昭和四六年に農村地域工業導入促進法(昭和四六年法律第一一二号)を施行し農村地域への工業導入を促進することとした。
 しかし本町では工場用地に充てることができる平地に乏しく用地確保は困難視された。

 工場用地造成
 昭和四五年九月日本鉄道建設公団から国鉄内山線中山隧道掘削土の捨土場所確保について町への協力方依頼を受けた西岡町長は、慎重検討の結果、捨土場所としてハタヱ沖の水田を埋立てることとし、併せて湾曲した栗田川を付け替え、盛景山も切り取って造成して工場用地とすることを決断した。
 しかしながら多くの地権者を説得してどう協力を取り付けるか、また当時としては山を丸ごと切り取るという難工事と工事費の確保は大きい課題とされた。
 幸いにして多数の土地所有者の理解と、関係機関の指導もあって、昭和四六年六月栗田川付替工事の認可を得て工事に着手、以来二年余の歳月を経て四八年六月二二日豊岡地区開発事業竣工式を迎えることができた。
 このようにして造成した用地面積は、工場用地・道路用地・河川用地を含め三万九、九二七平方メートル、総事業費は、二億八、〇七八万五、〇〇〇円である。

 工場誘致
 中山町は、昭和四七年農村地域工業導入促進法第五条の規定に基づいて、豊岡地区の工業導入に関する実施計画を策定、愛媛県及び四国通産局との協議を経て同年一二月一五日計画は確定した。
 誘致企業については、本町出身の大松幸栄が社長という縁もあって、岐阜市の岐阜プラスチック工業株式会社に決定し、昭和四八年四月二〇日、豊岡用地は次のとおり立地企業三社との間に売買仮契約と企業立地に関する協定書を締結した。
 誘致工場は昭和四八年にはそれぞれ立地し、岐阜プラスチック工業株式会社は、同年九月一八日別会社として四国リス株式会社を設立、四国工場として建設されたが、ちょうど第一次オイルショックに伴なうプラスチック原料のナフサの高騰に遭い、操業と社員雇用計画は大幅な変更を余儀なくされ、厳しい環境下での船出となった。
 中山町では引続き企業誘致に努力したが、実現は容易でなく、ようやく弱電気業組立工場が立地し、また、平成三年には各種制御機器工場を誘致、婦人層の就業機会の拡大、若者定住につながる男子雇用型の企業として活気を呈している。
 次に主たる工場について記述する。

四国リス㈱四国工場(中山町大字出渕六番耕地ニー八)
 昭和四八年九月一八日設立 従業員数 四八名
 資本金 一、〇〇〇万円  年商 一五億円
 製品・合成樹脂成形製造販売(農業・水産用コンテナ・食品用トレー等)
 本社 岐阜プラスチック工業株式会社
 創立 昭和二八年四月一六日  資本金 二億円
 年商 五八〇億円  全従業員数 一五五五名

株式会社 光華メリヤス(中山町大字出渕)
 昭和四六年八月一日設立  従業員数 二四名
 資本金 三〇〇万円  年間 三億五、〇〇〇万円
 製品 繊維関係(メリヤス肌着等)

入江工研株式会社中山工場(中山町大字出渕四―一五八〇―一)
 平成三年三月一日設立  従業員数 五四名
 製品 各種ベローズ・ゲートバルブ等
 本社 入江工研株式会社
 創立 昭和四一年五月四日  資本金 一億三、六〇〇万円
 年商 二八億八、六七四万円  全従業員数 二〇九名

中山電子工業有限会社(中山町大字中山寅二一五―八)
 昭和四八年四月一一日開業・昭和五九年五月八日有限
 株式会社設立 従業員数 一一五名
 資本金 三〇〇万円  年商 二〇億円
 製品 ビデオ関係半製品・HD半製品製造等

株式会社 サレタニ(中山町大字佐礼谷甲一〇九〇)
 昭和四五年一一月二五日設立  従業員数 二五名
 資本金 一、〇〇〇万円  年商 一億円
 製品 浄化槽・縫製品等

西本電子工業株式会社(中山町大字佐礼谷甲九四―ニ)
 昭和五六年四月一日設立 従業員数 五五名
 資本金 五、〇〇〇万円 年商 一億三、〇〇〇万円
 製品 電気製品部品製造

幸産業有限会社(中山町大字佐礼谷丙一〇五八―二)
 平成五年四月一二日設立  従業員数 二二名
 資本金 三〇〇万円  年商 五、二〇〇万円
 製品 繊維製品製造(関西方面)

表3-4 大正末期~昭和初期の工業

表3-4 大正末期~昭和初期の工業


表3-5 中山町の製糸工場 

表3-5 中山町の製糸工場 


図3-1 土地造成区域図

図3-1 土地造成区域図


工場誘致

工場誘致


事業所数、従業者数、製造品出荷額

事業所数、従業者数、製造品出荷額