データベース『えひめの記憶』
中山町誌
三、 広田村農協との合併
昭和五一年、県下でも小規模で、営農指導等農家サービス・農協経営等に問題を生じてきた広田村農協との合併により、栗・葉たばこ等共通している農産物振興を目的に新生「中山農協」が発足し、今日の「伊予中山農協」へと引き継ぐこととなる。
合併当時の役員体制は、組合長松本吉兼、専務田中利男、常務堀川敏幸であった。
昭和五六年に、組合員待望の新農協事務所が、農業者トレーニングセンターとして建築落成をみるに至り、名実ともに、県下に誇る農協となる。
昭和五八年、松本吉兼の勇退により、田中利男が新組合長に、神山通が専務にそれぞれ就任する。
以来、栗・葉たばこ・畜産に加えて、生しいだけ・野菜・花卉の振興に特に力を入れる。
しかしながら、農畜産物の輸入自由化等に伴い、後継者の急減、農業者の高齢化によっての現産の減少は、如何ともしがたい状況となる。
そのような状況にありながら、田中組合長の健全運営手腕により、農協経営は、安定期を迎えた。
平成三年に、門前にソバ・ゼリー・菓子・加工完成品製造工場と、急速冷蔵車・冷凍冷蔵庫・冷蔵庫の建築により、業界に誇れる一大農産加工コンビナートが完成し、現在に至っている。
平成四年一〇月、田中組合長の退任に伴い、新組合長に神山通、専務仙波隆則が就任した。
新体制のもとで、農業情勢変化に対応する「ヤル気集団」の育成と流通改善、農協内部の合理化(リストラ)等を経営の基本方針とし、役職員一丸となり、運営に当たっている。
今日の課題として、広域合併問題が浮上しており、遠からず、伊予市・伊予郡・上浮穴郡をエリアとした農協への移行も予想される。
なお、現在の役員体制は、組合長神山通、専務仙波淳である。
佐礼谷との合併後の歴代組合長
西岡 進 自 昭和三六年五月 三日
至 〃 四二年二月 一日
松本 吉兼 自 昭和四二年二月 二日
至 〃 五八年四月二八日
田中 利男 自 昭和五八年四月二九日
至 平成 四年一月三一日
神山 通 自 平成 四年一一月一日
至 現在
農協の平成六年度経営、農業情勢は次のとおりである。
図1-10 貯金高 |
図1-11 共済保有高 |
図1-12 購買品取扱高 |
図1-13 販売品取扱高 |
図1-14 加工品取扱高 |
図1-15 剰余金処分 |
図1-16 貯金の推移 |
図1-17 共済保有高の推移 |
図1-18 取扱高の推移 |