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中山町誌

四、 キウイフルーツ

 日本には、昭和五〇年頃にニュージーランドから導入され、栽培が始まり、中山町でも五六年頃から栽培が始まった。当時、みかん産業が低迷しており、みかん園からの転換を中心に増殖され、キログラム当り一、〇〇〇円~二、〇〇〇円の手取りの価格になった。その後、生産量の増加と輸人量の増加とともに価格は下がっていったが、平成二年には、全国で六万三、〇〇〇トンと史上最高の生産量になった。中山町では平成元年に生産量二一○トン、面積一三ヘクタールとなった。県連では昭和六二年から輸出を始めたが、伊予中山農協では単独で昭和六一年から輸出を行い約八七トンを香港へ初めて出荷した。現在は、面積約一四ヘクタール、生産量三〇〇~三五〇トンである。