データベース『えひめの記憶』
中山町誌
四、 土地改良区の設立
農地の造成、農業用施設の設備等、あらゆる土地改良事業を強力に推進するため、昭和二四年六月、土地改良法が施行され、耕地整理法は廃止された。
そして、土地改良事業を実施するためには土地改良区を設立しなければならなくなった。
そこで昭和二七年大矢地区において灌漑排水事業を実施するため長曾土地改良区を設立した。
ここで、この事業の経過について簡単に述べておこう。
そもそも、この事業のことの起こりは古く、泉田仲藤の言によれば祖父の代より語り伝えられていたとの事だが、農耕をもって生計を立てんとする者にとっては、米の需給は誰しも欲するところであり、この解決策として灌漑排水事業の実現こそ多年の宿望であったという。
昭和二四、五年頃、当時の食糧難から地元の熱望が次第に高まり、森平県議の当選と相まって機運はますます上がり、度重なる陳情によって昭和二六年春、県より技術的な踏査研究が行われた。その結果、地形的にも技術的にも好条件を具備していることが判明し、同年暮れより本格的な測量設計が行われたのである。
ちょうど、この年は同地区の山岡赳が米作競作会に参加し、愛媛県一位を獲得した年でもあって、開田計画にも一層拍車をかけた。
この当時道路もない山奥において標高六三五メートルの地点にかかる大事業を起工し、かつ完成することの出来たことは、土地改良区の育ての親ともいうべき泉田仲藤の献身的な努力と、当時の役員、組合員の一致協力の賜であることはいうまでもない。
また、平沢池については、戦後の食糧事情解決のため、木戸正男が施行代表者となって土地改良区設立以前(昭和二〇~二四年)に完成したもので、いずれも完了後の維持管理と開田に力を入れている。
長曾土地改良区設立当時の組合員数及び役員名
組合員数六五名(大矢の全農家と下野中の関係農家)
役員名 理 事 泉 田 仲 藤 理事長
理 事 山 下 久 吉
理 事 松 田 留五郎
理 事 鶴 岡 寅 市
理 事 島 岡 専次郎
監 事 伊予岡 吉 春
監 事 西 岡 猛 夫 県知事任命
現在の中山町土地改良区は、長曾土地改良区が灌漑排水事業(長曾溜池)を実施中において、急傾斜地帯農業振興臨時措置法に基づく農道新設の機運が各地域に高揚し、地区ごとに改良区を設立する必要が起きたので、昭和二九年四月中山町(旧中山町)を一円とする土地改良区に変更したものである。
尚昭和五七年から六三年の間に大規模改良を行った。
中山町土地改良区設立当時の組合員数及び役員名
組合員数九六一名 総代の定数五六名
理事長 亀 本 好 恵
理 事 久保田 右衛門 理 事 木 戸 正 男
〃 高 橋 直 志 〃 船 田 政 雄
〃 泉 田 仲 藤 監 事 西 岡 猛 夫
〃 植 岡 実 衛 〃 中 村 亀五郎
〃 宮 岡 正 実 〃 松 本 小三郎
〃 宮 田 才 衛 〃 山 岡 信
現在の組合員数及び役員名
組合員数一、〇五二名 総代の定数四六名
理事長 森 平 實 衛 理 事 宮 崎 則 数
副理事長 仙 波 隆 則 〃 岡 田 博
理 事 谷 本 俊 克 〃 梅 岡 久 男
〃 下 岡 和 夫 監 事 坪 内 水 野
〃 松 本 正 光 〃 西 岡 直 衛
〃 中 岡 武 人 〃 三 谷 武 美