村の財政難も、農民の貧しさに起因するが、昭和二年の金融恐慌は村の経済に大きな打撃を与えた。同五年にはさらに輪をかけ農林産物の大暴落が起こり、各種工業に従事していた労働者も帰郷し、失業者が急増した。 そこで、これら失業者に就業の機会を与えるため、昭和七年より九年にかけて、時局匡救事業による林道平村線と坪井線の事業を次表1―5のとおり実施した。
図1-4 米価(大正元年1石21円)と背景
表1-5 救農土木事業