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中山町誌

第三節 伝染病院・し尿及びごみ処理

 松山都市圏構想によって、昭和三八年(一九六三)松山市・北条市・伊予市・温泉郡重信町・川内町・久谷村・伊予郡松前町・砥部町・広田村及び双海町が、法定伝染病患者を対象とする「松山伝染病院組合」を創設した。
 これに伴って各関係市町村の伝染病院、隔離病舎をすべて廃止し、昭和三八年一二月に組合立松山伝染病院を松山市小栗町に建築した。
 その後、昭和四九年四月に伊予郡中山町が同組合へ加入し現在に至っている。
 し尿処理については大洲市・喜多郡長浜町・内子町・五十崎町・肱川町の一市四町により、昭和三七年八月一六日、大洲・喜多衛生事務組合を設立、大洲市米津へ一日四〇キロリットルの化学処理方式によるし尿処理施設「清流園」を設置、運営を始めた。
 その後、昭和四〇年三月、喜多郡河辺村の加入、さらに昭和四七年九月、伊予郡中山町及び双海町の加入により収集区域が拡大された。これに伴い施設の能力不足と老朽化などにより、昭和四七・四八年度において将来の地域開発による人口推移を見込んで一日一〇〇キロリットルの好気性酸化処理(活性汚泥法)施設を増設した。
 さらに新環境基準の達成と、清流肱川の水質保全を目的として、昭和五六年度に排水処理(三次処理)施設の整備を図り、し尿処理放流水に係る水質管理に努めている。昭和五七年四月から伊予郡広田村の新規加入により、一市六町二村の広域事業としてその成果を上げている。
 ごみ処理については、昭和四八年一〇月一日に喜多郡内子町・五十崎町・肱川町・河辺村・伊予郡中山町・広田村の四町二村により、内山衛生事務組合を設立した。
 組合のごみ処理施設の概要は次のとおりである。

表12-4 内山衛生事務組合ごみ処理施設の概要

表12-4 内山衛生事務組合ごみ処理施設の概要