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中山町誌

三、 衆議院・参議院議員選挙

 衆議院議員選挙
 衆議院議員の選挙についての法律は、明治二二年(一八八九)法律第三号として、衆議院議員選挙法が制定されたのがはじまりである。
 その後、同三三年法律第七三号、大正八年(一九一九)法律第六〇号、同一四年法律第四七号、昭和二〇年(一九四五)法律第四二号及び同二二年法律第四三号によって、五回にわたり重要な改正が加えられ現在に至っている。
 その流れを概観すると、明治二二年法律第三号では、選挙権は年齢二五歳以上の男子で一年以上直接国税一五円以上を納め、かつ一年以上その府県に本籍と住所を有するものであった。被選挙権は、年齢三〇歳以上、納税要件は選挙権の場合と同一で、本籍と住所の要件は必要ない。選挙区は小選挙区制を原則とし、投票の方法は記名投票で、投票用紙に被選挙人の氏名を記入するほか、自分の氏名及び住所を記入し捺印することとされていた。選挙運動については、買収・暴力行為等に対する罰則のほかはあまり制限されていなかった。
 明治三三年法律第七三号による改正で、選挙権の納税要件が満一年以上の間に地租一〇円以上納めることに改められ、被選挙権は、従前の納税要件が撤廃された。選挙区は、原則として府県を単位とする大選挙区制となった。投票の方法は単記投票方式で、選挙人の氏名の記載や捺印をしない秘密投票主義に改められた。選挙運動の規制も、買収・暴力行為等に対するもののほか各種の取締りが規定された。
 大正八年法律第六〇号では、選挙権は一年以上直接国税を三円以上納めておればよいことになり、納税要件が大幅に引き下げられた。選挙区は原則として一選挙区から一人を選出する小選挙区制とし、投票の方法は単記で無記名の秘密投票の方法である。
 大正一四年法律第四七号では、選挙権は、納税要件が完全に廃止されて、満二五歳以上の男子は、一定の欠格事由に該当しない限り選挙権を有することとなり、男子に関する限り普通選挙が実現された。
 選挙区は、一選挙区から三人ないし五人を選出するいわゆる中選挙区制が採用され、選挙運動の規制は普通選挙制度の採用に伴う選挙人の大幅な増加に監み著しく強化された。
 昭和二〇年法律第四二号の改正では、選挙権の年齢が満二〇歳に引き下げられたほか、女子に対しても男子と同じように選挙権が与えられ、ここに男女平等の普通選挙制度が終戦後の改革の一つとして実現されたのである。
 また被選挙権の年齢要件も満三〇歳から二五歳に引き下げられ、女子も男子と同様に被選挙権を有することとされた。
 投票の方法は、選挙すべき議員の数が三人以下の場合は一人の候補者の氏名を書く、単記方式であるが、議員定数が四人以上一〇人以下の場合は、二人の候補者の氏名を、議員定数が一一人以上の場合は、三人の候補者の氏名を記載することができるもので、いわゆる制限連記投票制とよばれるものである。
 選挙運動の規制にも変更が加えられた。
 昭和二二年法律第四三号では、選挙区は大選挙区制を廃止して、再び定員三人ないし五人の中選挙区制に戻ると共に、投票の方法も制限連記投票制が廃止され単記投票制に戻ることとなった。
 選挙運動については、「選挙運動の文書図画等の特例に関する法律」や「選挙運動等の臨時特例に関する法律」が制定され、厳しい制限を受けることになった。
 中山町の衆議院議員選挙の状況は、表9―8のとおりである。

 参議院議員選挙
 参議院は、日本国憲法の制定に伴い、貴族院に代って設けられたものであり、参議院議員選挙法は、昭和二二年法律第一一号として制定された。
 新憲法制定の際、一院制とするか、二院制とするかについて大いに議論が交わされたが、結局衆議院と参議院の二院をもって国会を構成することとされた。
 民選議員としての色採が弱い貴族院と異り、参議院は、国民から直接選ばれた議員をもって構成され、公選の原則に基づくこととなった。しかし、同じ公選の原則に基づく議員でありながら、いかにして衆議院と違った特色を出すべきかについていろいろ検討された。職能代表制・間接選挙制等も議論されたが、結局、全国区(昭和五六年からは比例代表制)と地方区の二本立、任期六年の半数改選制という方法が採用され、今日に至っている。
 中山町の参議院議員の選挙の状況は、表9―9のとおりである。

表9-8 中山町における衆議院議員選挙の状況

表9-8 中山町における衆議院議員選挙の状況


表9-9 中山町における衆議院議員選挙の状況

表9-9 中山町における衆議院議員選挙の状況