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中山町誌

第一節 徴兵検査

 身体検査―その家の男子が満二〇歳になると、戸主が本籍の市町村に適齢届を提出し、春から夏にかけて本籍地または、居住の連隊区(徴募区)で検査が行われた。検査場は、小学校の講堂などが普通であった。(本町の場合は、郡中(現伊予市)の寺(栄養寺)・郡役所・郡中小学校、伊予実業学校(現伊予農高校)などで行われた)身体検査は、身長・体重・胸囲・内蔵・胸部レントゲンなどであり、身長一・五五メートル以上の筋骨隆々とした若者がめでたく甲種、以下段階的に、第一乙種、第二乙種、丙種までが合格、誰がみても、筋骨薄弱一・五メートル以下の短躯、肉体・精神に異常がある者は丁種不合格となった。この他、甲乙判定できかねるものを戍種として保留した。
 くじのがれ―要員を必要としない平時では、甲種だけが、それでも多い時は抽選でその一部を現役として他を補充に回したが、日中戦争以来第二乙種まで現役の幅を広げた。甲種でも、抽選で落ちたものは「くじのがれ」をしたとして神に御礼に詣でた。
 身体検査に落ちるため、絶食する者、小指を落す者、醤油を飲む者とさまざまな悲喜劇的努力がなされたが、その多くは世慣れした試験官に見破られ、ビンタのおまけつきで合格となった。わざわざ本籍を農村地帯に移して、たくましい農家の若者の間に入って不合格に成功する者もいたが、結局は一月一〇日の前期、または、六月一日の後期入営兵として、「現役証書」を持って入営した。(『昭和日本史七』暁教育図書)
 これによって、満二〇歳に達した男子は、土族・平民の別なく兵籍に編入することになり、国民皆兵の近代的兵制が敷かれることになった。しかし、明治六年の微兵制に対しては、さまざまな手段を用いて徴兵に反対し、それから免れようとするものが少なくなかった。その最大の要因は、施行された徴兵令の中の「常備兵免役概則」の規定にあった。それは身体条件のほかに、官吏、一定の官立上級学校の卒業者、洋行修業の者、医学を学ぶ者、一家の戸主や嗣子などが兵役を免除されるという内容のものだった。さらに、その雑則では、「代人料」として二七〇円を上納する者についても免除の制度が認められていた。この一部有産階層を別扱いにする代人制度は、その後、世論に抗しきれず、同一六年の改正によって廃止されたが、これらの免役条項が身分に上下なしとする国民皆兵論の理想に反し、庶民に誤解を与える結果となって混乱を生じた。
 愛媛県は、明治一〇年(一八七七)徴兵適令の者へ告諭を出している。

  徴兵適令の者へ告諭(明一〇・二・一三)
                「愛媛県布達々書」
 甲第十六号
  兵役ハ国家ノ一大事ニシテ人民必ラス徴ニ応シテ服従セサルヘカラサルノ義務タルハ今更謂ヲ待タスト雖トモ中昔ヨリ武家ノ専務タリシ旧習今以脱除セス、動モスレハ人生度外ノ思ヒヲ成シ此役ヲ免レンカ為メ、遽カニ他人ノ養子トナリ或ハ廃家ノ苗跡ヲ冒カシ、又ハ他管ニ逃去甚シキハ発泡膏腐爛薬等ヲ支体ニ粘付シ瘡毒ト偽ルカ如キ種々ノ譎計ヲ為シ、アタラ父母の遺体ヲ毀傷シテ先孝行ノ始メヲ差マル、苟モ人ノ子弟タルモノニシテ之ヲ為スノ甚シキアランヤ、今ヨリ右速カニ徴募ニ応シ、正ニ一介ノ軍人トナリ拮据黽勉以テ国恩に応シ、身ヲ立名ヲ揚ケ以テ父母ヲ顕シ孝行ノ終ヲ善スル様、深ク感銘致スヘク、此段徴兵適齢ノ者ヘ告諭候事
   明治十年二月十三日 愛媛県権令 岩村 高俊
          (『愛媛県史資料編近代一』による)

 明治 九年 徴兵署は、松山、西条、宇和島に設置される。
   一〇年 二月一五日、西南戦争勃発、九月二四日、西郷隆盛自刃し終戦となる。
   一七年 六月二五日、松山に歩兵第二二連隊の編成が開始された。
   二一年 一二月一日、歩兵二二連隊の編成完了。初代連隊長は歩兵中佐杉山直矢であった。

 当初、陸軍については、本県は広島第五鎮台の管轄下に置かれていたが、明治八年五月、丸亀に歩兵第一二連隊が創設されて以来、歩兵は同連隊に、他の兵科は広島へ入営した。この制度は、明治一七年(一八八四)六月、松山に歩兵第二二連隊の編成がなされるまで続いた。
 明治二一年、広島鎮台は第5師団と改称された。
 海軍については、初めは徴兵によらず、一般応募者を採用して兵員としていたが、明治一六年、徴兵令の改正を機に徴兵制を採り、同二二年、呉鎮守府の開庁に続いて海兵団が設置されると、本県からはこれに入隊することになった。
 大正年間の壮丁体格表は次の表8―1・2のとおりである。
 このような兵役状況下、本県の兵士達も、明治・大正・昭和にかけて、日清・日露の戦いや二度の大戦に参加し、幾多の尊い犠牲者を出したのである。しかし、これらの記録(役場の関係書類等)は昭和二〇年(一九四五)八月一五日の敗戦と同時に、その筋の命により大部分が焼却処分され、内容など詳細を知ることができないのが残念である。

表8-1 年次別壮丁体格表

表8-1 年次別壮丁体格表


表8-2 年次別壮丁体格表

表8-2 年次別壮丁体格表