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中山町誌

三、 疾病

 明治四〇年(一九〇七)頃の村民の医療概念を示す資料があるので紹介する。
 「常ニ迷信的信念ニ支配セラレ加持祈祷等ニ信頼シテ医藥ヲ服用セザルが如キ徒未ダ全ク跡ヲ絶ツニ至ラズ大患ニ非ザレバ医療ヲ受ケズシテ売薬等ヲ以テ簡易ニ治療セントノ因習尚盛ナリ」(明治四四年頃発行された『中山村郷土誌』による)とあり、当時は迷信的信念で医薬よりも加持祈祷にたよっていたことを窺い知ることができる。
 昭和三〇年代の国民健康保険被保険者(加入率七一%)からみた主要病名(表5―11)及び一人当りの受診率と医療費の動向は図5―6のとおりである。農業の機械化、文化生活の向上に伴い、一般事故が増加し、全般的にみて胃腸など消化器系統の病気・視器疾患・感冒・神経痛・高血圧症などが主なものであった。
 昭和六二年から平成にかけての、国民健康保険被保険者(加入率四三%)からみた主要病名は、表5―12のとおりであるが、高血圧・整形外科的疾患・歯・消化器系疾患・眼などが多くなっている。これらの原因は、高齢者の増加、傾斜地農業従事、労働過重等が考えられる。
 伝染病は、江戸時代から明治・大正・昭和前期においては、年中行事の如く赤痢等が発生し、時には大流行して多くの死者を出した。近年では、昭和二〇年八月(一九四五年)、小池区を中心に赤痢が発生し死者多数を出し、さらに、昭和三六年二月中山保育園で主に発生した赤痢は、患者一六〇人を出し、当時の保育園を臨時隔離病舎とした。また、昭和三八年九月中山中学校生徒を中心に井戸水から発生した赤痢は、患者・保菌者併せて九二人を出し、中山中学校の一部を臨時隔離病舎として患者を収容したがいずれも死者はなかった。
 その後、予防対策、食品衛生、環境衛生等改善向上が図られ、その発生はほとんどないが、平成六年一月に赤痢患者が一人発生した。

 出生死亡の状況
 明治四〇年~四三年当時の死因は次の順位である(当時の病名による)。①呼吸器神経五管・②消化器・③発育栄養的病・④泌尿器及性殖器・⑤血行病であるが、呼吸器・消化器・発育栄養的病は、主に三歳児未満児で、当時乳幼児の死亡率が高かったことが窺える。昭和三〇年代後期においては、脳出血・老衰・癌・心臓疾患・気管支炎・未熟児・事故死などが主な死因であったが、このうち脳出血・癌・心臓疾患は、成人病として注目され、未熟児については母子保健事業と取り組むことになった。
 最近の死因順位は、表5―14のとおりであるが、三大成人病といわれている脳卒中・心疾患・癌が三位までを占め全体の六〇%~七〇%となっている。これらは全国的な傾向であり、車社会における運動不足、飽食の時代といわれるたべ過ぎ、食品摂取のアンバランス等が原因といわれている。
 出生については、図5―7、表5―13のとおりであるが、本町の出生、死亡者数の関係は、明治以来出生者数が死亡者数を上回って来たが、昭和六一年において、出生、死亡数五四人と同数となり、昭和六二年以降は出生が死亡を上回っている状況であり、今後の課題である。

表5-11 年度別病類別罹患順位

表5-11 年度別病類別罹患順位


図5-6 1人当り医療費及び受診率の年次別推移

図5-6 1人当り医療費及び受診率の年次別推移


表5-12 どんな病気で受診しているか(受診件数)国保・毎年5月分実績

表5-12 どんな病気で受診しているか(受診件数)国保・毎年5月分実績


図5-7 出生、死亡数一覧表

図5-7 出生、死亡数一覧表


表5-13 人口動態統計

表5-13 人口動態統計


表5-14 死因内訳

表5-14 死因内訳