データベース『えひめの記憶』
中山町誌
二、 県議会議員選挙と中山町
大正から終戦までの県会
大正時代に入って県議会は政友会の黄金時代を築くのである。当時伊予郡からは大正四年に相田梅太郎が初当選し、また大正八年には、新進の武知勇記が当選して県政界に重きをなして活躍した。しかし、終戦までの間に本町からは遂に県議会議員を出すことができなかった。従って県政界の詳細については省略する。
県会議員選挙と中山町
昭和二〇年終戦となり、昭和二一年四月一〇日戦後初の衆議院議員選挙が行われ、翌二二年には、公選第一回目の県知事、市町村長、県、市町村会議員選挙が執行された。
県議会議員選挙は、四月三〇日執行されたが、この時中山町から森平茂左衛が立候補したので、中山町からぜひ県議会議員を出そうと強力に支援したが残念ながら次点にとどまった。しかし昭和二六年、森平茂左衛は再び立候補して見事当選し、町民の期待に応えて県政界で活躍した。