データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

中山町誌

二、 県会議員選挙と中山町

 特設県会
 第一回愛媛県会は明治一〇年(一八七七)六月二二日に岩村高俊権令の招集によって開かれた。太政官布告による府県会規則が発布される一年前である。
 岩村高俊は明治七年(一八七四)一一月二四日に愛媛県最初の権令として着任した人で、自由民権運動家の板垣退助の流れを汲み、地方民会制度確立に意欲を燃やした人である。この岩村権令の招集した第一回県会を特設県会という。この第一回特設県会に中山村より寺井哲心が参会している。

 正規県会
 明治一一年七月二二日に「府県会規則」が発布され、正規の県会が開かれることになった。
 明治一二年(一八七九)三月二〇日に第一回県会が開かれた。その後、明治一四年に半数が改選された。
 明治二〇年に従来二〇歳以上であった被選挙権が三〇歳以上に引き上げられ、直接国税一〇円以上納めた者と改められた。そして、明治二一年には香川県の誕生により従来七〇人であった定員が四六人となった。
 明治二二年に県会は総改選を行った。この時中山村の有権者数が、戸長より郡長へ次のとおり報告されている。
 明治二三年に県会は複選制となり、郡市より一名を選出することとし、郡会と郡参事会が合同で一名を選出し、任期は四年で半数ずつ改選された。
 明治三二年(一八九九)三月一六日に「府県制」が全面的に改正され、複選制が廃止され公民による直接選挙制が採用され、定員は三五人と定められた。
 この時代から県会は順次、政友会と憲政本党の時代が築かれ、明治四〇年の選挙では政友会が多数を占め、また、明治四四年の選挙では県会創設以来の激しい選挙戦が展開された。

有権者数

有権者数