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中山町誌

三、 前期古墳

 県内において、前期に営造された前方後円墳としては、今治市国分古墳・相ノ谷一号墳・大西町妙見山古墳・松山市朝日谷二号墳などがある。これらの古墳の営造権は大和朝廷による認可が基本にあったと推定され、久米一族の関係からも、松山平野と大和朝廷との関係は成立していたとみられる。
 県内における最初の高塚墳墓(古墳)は、今治市の唐子山にある墳墓群であり、弥生時代末期より古墳時代初頭にかけて造られた。特に一〇号・一五号は共に山地の整形や封土の盛り土がみられ、墳形も帆立貝型と前方後円墳に近いものであり、古墳出現期のものと椎測される。これらの古墳についでつくられたのが国分古墳であろう。
 国分古墳は、頓田川に面した標高四五メートルの丘陵上に、主軸を南北にとる全長四四メートルの柄鏡型の前方後円墳である。内槨は竪穴式石室と推察され、出土遺物に三角縁神獣鏡(二一・八センチメートル)・四獣鏡(一一・八センチメートル)及び銅鏃(三四)・鉄剣・直刀・鉄斧・勾玉・管玉・ガラス小玉等がある。その他に、壺型埴輪に類似した土師器が出土した。
 これと同時期の前方後円墳には、松山市大峰ヶ台の朝日谷二号墳や、今治市近見伊賀の相ノ谷一号墳(全長八二メートル)、大西町寺谷の妙見山古墳(全長五八メートル)がある。相ノ谷一号墳や妙見山古墳は竪穴式石室をもつ。それに対して朝日谷二号の墳丘は既に削平されており詳細は不明であるが、内部主体は割竹型木棺を納めた粘土槨であった。棺内からは後漢鏡である二禽二獣鏡他一面と銅鏃・鉄鏃・鉄剣等を出土している。