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中山町誌

二、 前期の土器

 前期の指標とされる土器は、第1様式の土器で、五型式に分類される。
 第Ⅰ型式の土器は、縄文晩期の影響を強く持つ土器で、伯方町叶浦・大洲市慶雲寺・三間町三間高遺跡等で発見された土器である。
 第Ⅱ型式の土器は、木葉状の文様を施文する木葉文土器である。本土器は体部上位に有段がみられ、その下位に重弧文や有軸の羽状文を施すものである。これらの土器を出土した代表的な遺跡は、今治市蒼社川の阿方貝塚遺跡に北条市の高山遺跡、松山市では持田・土壇原Ⅴ遺跡があり、宇和町の金毘羅山遺跡と昭和六二年(一九八七)調査の川内町宝泉遺跡などである。
 第Ⅲ型式の土器は、体部上位に削り出しによる凸帯を有する土器が指標となり、壺形土器では箆描きによる沈線がみられるが、甕形土器では無文であると指摘されている。
 第Ⅳ型式と第Ⅴ型式に細分が試みられているが、従来は阿方式土器として一括呼称されている土器群である。今後さらに資料の増加により、定型化されよう。いずれにせよ土器の施文方法には、貼り付けによる凸帯を主にする一群と、箆描きによる沈線文様を主体とする一群のあることが指摘されている。
 弥生時代における貝塚は極端に減少して、縄文時代の貝塚に存在する遺物の出土が減少しているのは、かつての狩猟・漁撈・食料植物の採集が退化したのではない。農耕生活の定着化とともに、集落形態が点から面へと拡大したところに大いに関係する貝塚の減少なのである。

図1-3 弥生前期の土器

図1-3 弥生前期の土器