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中山町誌

一、 土器の出現

 土器の出現は、新石器時代を特徴づけるといわれている。土器は粘土塊が原料であるため、人の思うままに物が造り出せ、各種の文様・器形を容易に表現できる。このことにより短期間に変化があるので、編年的細分の尺度、小さな文化圏も設定する尺度とされている。土器にみる形や装飾(文様)の特徴により分類され、遺跡の名称で呼ばれるものが「土器形式」である。この土器形式の変化を主な基準として、早・前・中・後・晩期の五期に、土器発見のあった時期(草創期)を加え六期に分類される。六小期の一期は約一、七〇〇年間とされ、縄文時代の終わりは約二、五〇〇年前である。
 さらに上黒岩岩陰遺跡の第六層から出土した、薄手の無文様土器(上黒岩Ⅱ式土器)が放射性炭素測定により一〇〇八五プラスマイナス三二〇BCの縄文早期前半と比定された。
 この時代は地球の温暖化傾向(間氷期)の中で、生活環境が大きく変化したことに起因して土器製造に至ったと想定される。
 氷河期になり、マンモス象やオオツノジカ等の大型獣が死滅し、対象が、中・小形獣へと移行した狩猟生活から、さらに海棲動物の捕獲技術が発展するに従って、食生活が大きく変化したと想定される。
 この食生活の変化は、古代人の骨に含まれるコラーゲンというタンパク質を抽出して、その中に含まれている炭素と窒素の同位体比を分析し分かった。また、石鏃の出現や貝の有孔垂飾器などからも食生活の変化が推定される。
 本県においては、草創期の東宇和郡城川町川津南の穴神洞遺跡第八層から細隆起線文様土器が出土している。

図1-1 人骨と各種食物の炭素・窒素同位体比の分布

図1-1 人骨と各種食物の炭素・窒素同位体比の分布