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中山町誌

一、 旧石器時代区分

 日本列島での縄文以前の文化に対して、前期・中期・後期の三期区分法以外にも、前期・後期の二期区分を採用する研究がある。
 二期区分を採る場合、前期旧石器文化は約一三万年前を境に、石材の使用、石器製作法、石器の規模や組成から、古段階・新段階に大別している。一三万年以前の遺跡、宮城県中峯C遺跡下層、同県馬場壇A遺跡、愛知県加生沢遺跡の石器群は古段階に入れられよう。
 新段階前半(一三~三万年前)では、馬場壇A遺跡一〇層・一九層上面や、多賀城市志引遺跡八層・九層上面などが代表遺跡である。
 新段階の終末期(約四・三~三・三万年前)での遺跡には宮城県散乱木遺跡、同県安沢A遺跡が挙げられる。この期では掻器が多く、石器組成の約二~四割を占める。
 さて立川ローム層は、三万二千~一万年前の堆積物(火山灰)である。この堆積物中から多数の石器群が発見されている。
 平成五年に沖野新一が表採した遺物は、中山町民運動場の周辺(下長沢)地で発見された。その中に旧石器時代のものがある。
 この約二万年間の石器群の編年的枠組については、三期~五期に分類されている。ここで四期編年の説によれば、第Ⅰ期は、三~二万年前でa~c期に細分し、礫器・剥片石器を伝統とする。第Ⅱ期は二~一・三万年前でa・bの二期に区分され、ナイフ形石器伝統とされる。第Ⅲ期一・三~一・二万年前は、細石刃伝統である。第Ⅳ期は、一・二万年以降で石槍伝統の名称が付けられている。