データベース『えひめの記憶』
中山町誌
二、 中山町の地下資源
(一) 金属資源
① 銅鉱・硫化鉄鉱
中山町の地質図(図4-3)からも明らかなように、中山町のほとんどの地域を覆っている三波川帯の結晶片岩中にも含銅硫化鉄鉱の鉱床があり、これらは明治後期から大正時代にかけて開発が始まった。中山町の広い範囲にわって多数の鉱区が設定され、試掘や採掘が行われたが、現在はそのすべてが廃坑となっている。
中山町の鉱山は、佐礼谷地区と南部地区の二つに分けることができる。
宮久三千年の調査した佐礼谷付近の鉱山分布図4-8に見られるように、かつてこの一帯には、寺野鉱山をはじめ、天翅鉱山、佐礼谷鉱山、宮本鉱山、大正鉱山、秦鉱山などの鉱山があった。
これら鉱山の一般的な傾向としては、ほぼ東西に走向し、北または南に緩く傾斜をしている結晶片岩(主として緑色片岩)の層面に平行に、鉱床がレンズ状に存在している。
中山町南部の山地には仁川登鉱山、中山鉱山、平沢鉱山などがあった。この一帯の鉱床についての一般的な傾向としては緑色片岩に挟まれるように黒色片岩や赤鉄石英片岩(紅簾石英片岩)などの結晶片岩があり、それに伴うように褶曲の著しい鉱床が存在していた。
鉱石は、黄白色の黄鉄鉱(硫化鉄)を主とし、濃い金色の黄銅鉱を含み、銅の含有量は一~三パーセント、硫黄二〇~四〇パーセント程度であった。
これらの鉱床(層状含銅硫化鉄鉱床)は、結晶片岩のもととなる泥や海底火山の噴出物などが海底に堆積したときに、海底に噴出する熱水に伴って吹き出された黄鉄鉱(硫化鉄)や黄銅鉱も同じように堆積し、その後、低温高圧の変成をうけて三波川結晶片岩中に見られるようになったと考えられている。
② マンガン鉱
佐礼谷地区の三宝鉱山はマンガン鉱山として知られていた。三波川帯に存在する数少ない鉱床の一つで、結晶片岩(主として緑色片岩)中にレンズ状に存在した鉱山であった。
鉱石は、黒~黒褐色の重みのあるブラウン鉱の変質によると考えられるチョコレート鉱が主で、この他にマンガンを含む鉱物として、マンガン柘榴石、テフロ石、バラ輝石などからできており、その品位は二酸化マンガン七〇~七五%、炭酸マンガン三五~三八%程度であった。
この鉱床の成因は後成鉱床と考えられている。昭和三〇年代に試錐と探鉱坑道掘進を試みているが、鉱量や採算面から、その後閉山となった。
(二) 非金属資源
① 石材
永木のカンヤ付近には、緑色片岩を貫いて噴出した、石鎚山第三系の石鎚層群黒森峠層に属する、黒雲母安山岩が広く分布している。双海側では、結晶片岩が熱変成を受けているが、この付近ではほとんど受けていない。この岩石は、全体に灰色~淡青色を呈し、黒雲母の斑晶が発達している。現在も露天掘りで採掘が行われ、土木用の建築資材として利用されている。
② 陶石
安別当付近に見られる陶石は、緑色片岩を貫いて噴出した流紋岩が変質されて陶石化されたもので、一時期採掘されたことがある。耐火度はSK二七程度と分析されている。