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中山町誌

二、 人口動態 ①

 昭和三〇年二月に中山町と佐礼谷村が合併して、新しい中山町が発足した当時の人口は、一万一一一人と一万人台であったが、厳しい生活環境に加え、社会・経済構造の変化などによって都市部への流出、出生数の減少など、社会的・自然的要因によって人口は年々減少し、昭和三〇年当時から四〇年間で約半減した。図1-8は、昭和三〇年以降の、人口・世帯数の推移を表したものである。

 (一) 人口自然的動態の推移
 図1-9は、昭和三五年以降の自然動態(出生数・死亡数)の推移を表したものである。
 戦後における、我が国の人口自然動態の特徴は、出生率・死亡率とも大きく低下したことである。
 出生率の低下は、女性の社会進出、高学歴化社会を迎えての結婚・出産・家庭などに対する意識の変化、経済状態、教育問題など様々な要因が考えられる。
 中山町の昭和三五年以降の出生数を見ると、大きく減少し、平成二年を昭和三五年と比べると四分の一弱となっており、子供のいない集落も出ている。
 死亡率の低下は、保健衛生面の改善、医療の飛躍的な進歩による伝染病・成人病への適応、乳幼児・高齢者に対する保健福祉面の充実などの種々の要因が考えられる。
 中山町の昭和三五年以降の死亡数を見ると、年次により多少の変動はあるが減少傾向が見られる。
 一般には、出生数が死亡数を上回っている場合が多い。
 中山町の自然動態を見ると、昭和六〇年までは出生数が死亡数を上回っていたが、昭和六一年には同数となり、昭和六二年以降は死亡数が出生数を上回るという逆転現象が生じ、自然的動態において人口の減少が生じている。中山町では、この憂慮すべき問題に対して、少子化対策に取り組み始めてはいるが、今後の大きな課題となるであろう。

 (二) 人口社会的動態の推移
 戦後の混乱期を脱し、昭和三二年に経済企画庁が経済白書で、「もはや戦後ではない」と報告したように、昭和三〇毎頃からの急速な経済成長に伴い、都市部への人口流出が始まった。本県は、もともと京阪神方面を中心に、大都市への労働力の供給地であり、中山町も例外でなく、中学・高校卒業者の多くが流出した。図1-10は、昭和四四年以降の人口社会動態の変遷を表したものである。これを見ても、絶えず転出が転入を大きく上回っている。
 町外への転出を見ると、昭和五〇年ごろまでは、その三分の一が県外、三分の二が県内であったが、その後は県内転出の比率が高くなっている。町内への転入を見ると、ほぼ三分の一が県外からとなっている。
 図1-11は、年齢が進むにつれて、同世代の人口がどのように変わっていくかを五年ごとに表したものである。
 例えば、図中の④のグラフは、昭和二六年~昭和三〇年に生まれた、○~四歳の一、三四五人の子供たちが、五年後の五~九歳に達しかとき、一〇年後の一〇~一四歳と成長するにしたがって、人口がどのように変わっていったかを表している。他のグラフも、④のグラフと同様に表したものである。
 いずれの場合も、○歳~一四歳まではわずかではあるが減少している。これは、親と一緒の転出が考えられる。
 一五歳~一九歳に達したときに、人口が著しく減少し、次いで二〇歳~二四歳に達した時の減少が目立っている。一五歳~二四歳の間に、○歳~四歳時の人口の、およそ三分の二にあたる人口が、町外への転出などにより減少してきたことになる。
 減少の要因は、一五歳~二四歳の年齢層のとき、就職・進学のために中山町を離れるからであろう。このような青少年層の転出は、その後の中山町の出生率の低下や核家族化にもつながり、中山町の人口減少をもたらした要因の一つと考えられる。
 三〇歳以降になると、人口の増減は、ほとんど認められなくなる。結婚などによる若干の転出入は予想されるが、残った人達の多くは、町内を生活根拠地に定めたと思われる。また、一五歳~二四歳頃に中山町を離れた人達が帰町して、生活を営むという、いわゆるUターン現象が、非常に少ないことも想像される。
 さらに、生まれる年代が昭和四〇年代、五〇年代と遅くなるほど、一五歳~二四歳に達したときの変化が緩やかで、減少の割合が少なくなる。これは、鉄道・道路などの交通網が整備され、松山市・伊予市などが通勤・通学圏となってきたためと考えられる。
 自然動態・社会動態により、人口の減少の続く中山町内の各集落別の人口・世帯数の推移を、昭和三五年から一〇年ごとに見ると表1-3のようになる。
 集落では、昭和三五年以降に、町の周辺部にあった、寺野、栗田一の二集落が消滅した。
 世帯数・人目は、町内の中心部・周辺部を問わず、ほとんどの集落で減少している。減少の様子は、集落によって多少異なる。減少傾向は、昭和三五年から四五年にかけて著しく、その後は比較的穏やかな減少となっている。
 その中で、豊岡一、門前、下長沢では、わずかではあるが増加、もしくは横ばいに近い状態となっている。その要因には、宅地の供給が可能であること、交通や生活の便利性が高いことなどの様々な理由が考えられる。

図1-8 人口・世帯数の推移

図1-8 人口・世帯数の推移


図1-9 人口自然動態の推移

図1-9 人口自然動態の推移


図1-10 人口社会動態の推移

図1-10 人口社会動態の推移


図1-11 年齢層による人口の社会動態の推移

図1-11 年齢層による人口の社会動態の推移


表1-3 集落別世帯数・人口の変遷

表1-3 集落別世帯数・人口の変遷