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伊予市誌

1 作物編成の動向

 一八七一(明治四)年五月、一般農民にも米の販売が許可された。次いで同年九月、作付制限が解かれた。それまでは藩の統制の下に厳しく制限されていた作物の選択が、農民の自由に任された。一八七三(明治六)年七月、「地租改正条例」の公布により近代税制が確立した。今まで長い間自然経済の中にあった農民も、それからは有利な作物を求めてあれこれと研究するようになった。すなわち、米麦は主食として、また比較的安定した換金作物は、長期にわたって栽培された。その中で養蚕・特用作物・そ菜・果樹などは需給関係・病虫害・労力問題によって盛衰を繰り返し、時代の流れに従って変遷していった。
 昭和四〇年代の中期になって米の生産が過剰の傾向となり、減反政策が取られて米の生産調整が行われるようになった。二〇〇〇(平成一二)年現在、約二九九ヘクタールの水田が果樹及び野菜などに転換され、その主な野菜はレタス・枝豆・ナス・キュウリなどである。果樹については温州みかんが大部分であったが、生産過剰で価格が低落し、生産調整・出荷調整が行われるようになり、みかんから晩柑類への転換が急速に進み、作目の編成が大きく変わってきた。一九七二(昭和四七)年と一九八四(昭和五九)年、二〇〇〇(平成一二)年の農作物などの作付面積と生産量は第112表のとおりである。

第112表 農産物等の作付面積、生産量

第112表 農産物等の作付面積、生産量