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伊予市誌

2 農地改革

 一九四五(昭和二〇)年八月一五日に八か年にわたって、国土と国民のすべてを巻き込んだ戦争はその悲劇の幕を閉じた。ポツダム宣言によって社会全般の民主化が叫ばれた。政府は農地の民主化に基づき改正案を議会に提出した。その内容の主眼は、自作農の広範な創設、小作料の金納化、農地委員会の民主化であった。国会では、急激な改革を回避しようとする保主政党と、微温的改革なりとして徹底化を要求する革新政党との意見が対立した。この過程で、同年一二月九日連合国軍当局からいわゆる農民解放司令が発せられ、根本的な農地改革計画を提出すべきことを指令された。この指令の受諾により、農地調整法改正案は一挙に両院を通過し、同年一二月二八日施行された。これが第一次農地改革と呼ばれるものであった。これは①農地改革は一九四五(昭和二〇)年一一月二三日現在で行う。②保有限度以上の農地は、国が強制買収する。③市町村農地委員会は、地主及び小作人の代表者で構成し、買収すべき農地を決定する。④改革は二年間で完成するなどの具体的な事項を示したものであった。しかし、この改革の実施は連合国軍総司令部(GHQ)の承認するところとはならなかった。そこで政府は一九四六(昭和二一)年九月「自作農創設特別措置法案」「農地調整法中改正案」を国会に提出し、翌一〇月一一日に成立した。この主な内容はおおむね前記総司令部勧告にのっとり、①不在地主の小作地は、すべて買収する。②在村地主の小作地は、北海道以外の内地は平均一〇〇アール(本県七〇アール)を除き全部解放する。③解放農地はすべて政府が買収し、従来の小作人に優先的に売り渡す、買収価格は、田は賃貸価格の四〇倍、畑は四八倍とする。④小作契約は文書化し、小作料は金納として、田は収穫物の二五%を超えないものとする。⑤農地委員会は農民の要望により採草地、未墾地、農業用施設などを地主から買収することができるというものであった。
 この第二次農地改革の実施主体である農地委員会は、小作代表五人、地主代表三人、自作代表二人計一〇人からなる階層別代表で組織されるもので、一九四六(昭和二一)年一二月二〇日県下各市町村一斉に選挙が行われた。
 こうして、農村に大きなショックを与えた農地改革は、順調に進み昭和二四年ごろには買収・売り渡しの事務のほとんどを終わって、登記事務をする段階となった。農地改革による土地買収状況は第106表のとおりである。
 第一回選挙による農地委員の任期満了に伴う選挙は、昭和二四年八月に行われたが、過去二か年の改革の結果、大部分の小作農家が自作化したことなどによって小作階層二人、地主階層二人、自作階層六人と階層別委員定数が改正された。農地委員会の任務も自作農創設事業から、耕作農家の地位安定を図るための農地の移動改廃や小作料統制などの業務に重点が置かれるようになった。

第106表 農地改革による土地買収状況

第106表 農地改革による土地買収状況