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伊予市誌

3 常備消防

 伊予市消防本部及び消防署発足
 一九六五(昭和四〇)年四月一日、消防組織法(昭和二二年法律第二二六号)第一〇条に基づく政令指定を受け、一九六七(昭和四二)年四月一日までの間に消防本部及び消防署の設置が義務づけられた。それによって一九六六(昭和四一)年一二月二三日、伊予市消防本部及び消防署に関する条例(条例第二二号)が制定された。
 一九六七(昭和四二)年四月一日、伊予市米湊八二〇番地に建築されていた消防本部・消防署の庁舎(木造二階建延二八一・九七平方メートル)が落成し開署式典が行われ、消防吏員一八名をもって次のような組織で本市に常備消防体制が敷かれた。
 消防本部・消防署が設置された当初の主な機械器具の整備状況としては、一九六六(昭和四一)年一〇月二〇日に購入した一二五PS森田式トヨタ四五ジープ(A二級)ポンプ自動車並びに一九六七(昭和四二)年三月二〇日に購入の一三〇PS森田式日産五〇ジープ四二年式(A二級)ポンプ自動車を合わせて二台と、トヨペットRS三一型一九六二年式六人乗り乗用車(市長専用車)を指揮車に改造して消防署に配置した。
 その後、一九六九(昭和四四)年六月一三日、日本損害保険協会からトヨタ一二五PSA一級(中型)を受納したことによって、同署で管理していたトヨタジープ型ポンプ自動車一合を第三分団(本庁地区)に所管替えを行い、ポンプ自動車二台、指揮車一台をもって消防署の体制を整えてきた。

 救急業務の開始
 一九七〇(昭和四五)年ころから全国的に救急需要の伸びを示してきた。本市においても救急業務を実施するよう市民からの要望もあって、同年九月三〇日付けをもって消防庁長官あて寄贈救急自動車配車要望申請を行ったところ、同年一二月二五日、日本自動車工業からBⅡ型救急自動車一合の寄贈を受けた。
 救急業務に使用する器材の整備については、同年一二月市議会において補正予算が承認されて整備を図り、また消防職員の補充についても同議会条例第一九号で伊予市職員定数条例の一部が改正された。一九七一(昭和四六)年一月一日付けで、消防本部・消防署に職員三人を増員されて同日から任意実施の形態(国の政令指定を受けないでこの業務を実施すること)で暫定的に救急業務の開始をした。同年四月一日付けで更に二人増員があって総数二三人となった。このうち、救急隊員は六人(消防係と兼務)をもって編成し、本格的な救急業務を開始した。
 「人命安全の確保」と「財産の保全」を図るために消防の果たす役割は非常に大きいものがある。
 これからの消防は、複雑化する社会生活環境の中で、火災その他の災害の潜在的な危険性に対処して市民生活の安全管理者としての責務を果たすには、本市消防署の機構上消防署長の専任が必然的となり、一九七一(昭和四六)年八月一日付けで専任消防署長(本部次長兼務)が任命され、消防職員総数二四人となった。この年より救急業務の必要性が増したため、救急車一台を購入した。

 広域消防(消防組合)
 建物の様式がますます複雑化され、可燃性資材の需要が次第に伸びて、火災は大型化・多発化の傾向を示し、火災による死傷者の増加をみるようになった。
 これらを最小限に防止するためには、常備消防の設置が強くのぞまれる。また、多発する交通事故による傷害者、その他急病患者などを搬送するための救急業務の実施の必要性などから、一九七二(昭和四七)年一月一九日、伊予市民会館において伊予市・松前町・砥部町・広田村・中山町・双海町の一市五か町村の助役・総務課長が出席して組合設立に関し準備会を開催した。このとき協議決定事項として、伊予市を中心とした広域常備消防の設立を推進していく責任者を、次回開催の組合設立準備会に図って決定することになった。組合設立及び業務開始までには、設立準備委員会・設立幹事会など会合を重ねること一三回に及んだ。その間、組合の規約・条例などの取り決めをして、消防組合設立が決定した。
 一方、組合設立にあたっては知事の許可を必要とするので(地方自治法、昭和二二年法律第六七号第二八四条)、一九七二(昭和四七)年九月一日、代表者伊予市長玉本善三郎名によって、愛媛県知事あてに伊予消防組合設立許可申請を行ったところ、同年九月一三日付け愛媛県指令地第七三七号(愛媛県告示第八八二号)をもって許可となった。同年一一月一六日、伊予市民会館において初の組合議会(臨時会)が招集され、議会の構成、組合三役(正副組合長・収入役)並びに監査委員の選挙及び選任が行われ、その他組合関係条例、昭和四七年度消防組合予算など二〇号の議案が提出され、全議案とも原案どおり可決となり、組合設立に伴う予算総額五、二七八万円で認められた。
 伊予消防組合で共同処理する事務は、「伊予消防組合規約」に基づいて消防に関する事務を処理することになっている。組合議会の議員の定数は一二人で、関係市町村の長及び議会の議長があてられ、議員の任期は関係市町村長・議長として在任している期間となっている。
 一九七三(昭和四八)年一月八日、組合関係市町村において試験採用された四四人のうち、三一人を愛媛県消防学校に六二日間入校させ、残り一三人は七二日間伊予市消防本部においてそれぞれ消防吏員としての教育訓練を受けた。
 同年三月三〇日、伊予市立港南中学校校庭において、各市町村より関係者を招いて、既設の伊予市消防本部・署を基幹に一本部・一署・一分署・四出張所の職員数六八人をもって開署式を挙行し、翌三一日に消防業務を開始する。消防本部・消防署の組織は第94表のとおりである。
 消防署は、その後一九七八(昭和五三)年四月に二人、一九八〇(昭和五五)年七月に一人、一九八一(昭和五六)年四月に三人増員し三三人となった。「伊予消防本部・消防署」の庁舎を第137図のように、伊予市下吾川九五〇番地の三に建設することになり、二、四一九・六六平方メートルの敷地に鉄筋コンクリート造り三階建て一部塔屋付延面積一、二五五・九六平方メートル、総工費一億八、五七九万円を伊予市が全額負担して、一九八〇(昭和五五)年七月一五日に完工落成した。一一月には、市内四か所のサイレン吹鳴装置を整備して、消防署で遠隔操作が可能となった。
 その後、一九八二(昭和五七)年七月三一日付け、愛媛県指令市第六〇九号をもって組合規約の変更が許可され、消防単独から火葬場業務を含む複合組合となり、「伊予消防組合」の名称を「伊予消防等事務組合」と改称した。一九八五(昭和六〇)年四月一日現在の消防本部・消防署の組織は、第95表のとおりである。

 サイレン吹鳴装置の設置
 一九八九(平成元)年三月に、防災まちづくり事業により三、八七〇万円の経費で設置した。これは基地局を消防署に置き、市内全域を対象に三一箇所(平成一一年一〇月に増設した北新川地区の一か所も含む。)に子局を設け、無線による遠隔操作でサイレン吹鳴及び放送ができる装置である。消防署から、一般住民への火災予防広報をはじめ災害発生情報及び避難の指示などについて、迅速な伝達や災害発生時の消防団員等の非常招集など、情報伝達が円滑にできるようになった。

 通信指令台の整備
 一九九一(平成三)年二月に、消防署に国庫補助事業により一、四三一万七、〇〇〇円の経費で整備した。これは電話設備及び無線設備が一体化され、かつ、緊急時の消防職員の順次呼出指令装置、救急病院及び消防関係機関などへのワンタッチ呼出装置、一般住民への火災発生現場、救急当直病院などのテレホンサービスによる情報提供装置、一一九受信通話と無線交信の時刻付き録音装置や停電時にも対応できる非常電源装置などが備えられたものである。

 伊予消防署に名称変更
 一九九一(平成三)年四月に、伊予消防等事務組合消防本部及び消防署に関する条例の一部改正があり、消防署が伊予消防署に、松前分署が松前消防署に、それぞれの名称が変更した。
 
 救助隊の発足
 社会生活の発展に伴い、火災・事故などの災害の態様も益々複雑多様化し、災害による人命の危険性が増大し、多種多様で高度な救助活動が強く要請され、一九八六(昭和六一)年四月、消防法及び消防組織法の一部が改正され、人命救助のため必要とする特殊な救助器具を装備した消防隊(救助隊)の配置が義務付けられた。既存の消防ポンプ自動車の荷台を改造し、ポートパワー、可般ウインチ、エンジンカッター及びエアーソーなどを装備し、消防隊により救助活動を行ってきた。しかし、救助活動件数の増加及び複雑多様化する災害事象の多発により、現行の体制では救助業務活動に限界が生じ、更に高度で専門的に活動できる救助隊の編成が必要となった。
 一九九三(平成五)年四月に、専任隊員八人と社団法人日本損害保険協会から寄贈を受けた救助工作車Ⅱ型に照明装置、発電装置及びクレーン装置などを追装備した「救助隊」を伊予消防署に編成した。組合管内全体を管轄として、救助業務を開始して、被災者を迅速に救出救助できる体制が大幅に向上した。

 はしご隊の発足
 建物の高層化、大規模化などが進み、中高層建物などの災害にも対応できる体制を確保するため、一九九三(平成五)年一二月に、二〇メートル級はしご付消防ポンプ自動車を、消防防災設備整備事業による国の補助を受け、組合全体の経費で、八、二二九万七、〇〇〇円で購入した。一九九四(平成六)年一月から専任隊員六人を配置した「はしご隊」を松前消防署に編成し、組合管内全体を管轄とする業務を開始した。
 これにより、中高層建物(概ね六階まで)火災の消火または逃げ遅れ大の救出救助や、一般の消火困難な火災などについても、高所から放水することによって効率的な消火ができるようになった。

 救助訓練塔を新築
 近代装備された救助隊及び消防隊が、複雑多様化し益々困難性を増している各種災害に対応するためには資機材の整備とともに高度な知識と技術を保持した隊員の養成が不可欠であることから、救助訓練塔を伊予消防署敷地内に、一九九六(平成八)年三月、主塔(鉄骨造一部鉄筋コンクリート五階建ての建築延べ面積八一・九九平方メートル)と副塔(鉄骨造三階建て建築延べ面積五八・二九平方メートル)を、総工事費一、六〇八万円で新築をした。

 水難救助隊の発足
 一九九六(平成八)年八月、伊予消防署員の兼任による隊員一〇人で、BCジャケットや空気ボンベなどの潜水用具及び救命ボートを装備した「水難救助隊」を配置した。
 水難事故に対応できる体制の確保は、海、河川及び溜池を多数有する伊予市にとって、必要不可欠な課題とされていた。水難事故が発生した場合、消防隊は水面上の活動だけとなり、必要な潜水活動は愛媛県警察本部のアクアラング隊に頼らなければならず、救助活動開始時間か遅れるため、救命率は、ほとんど期待できなかった。
 そうしたなか、一つの水難事故の発生によって住民からの強い要望の声も上がり、弱点とされていた水難救助業務を開始することになり、本格的な機動力を有した水難救助隊が誕生した。

 高速救急隊の発足
 一九九七(平成九)年二月に、松山高速自動車道伊予インターチェンジの開通に伴い日本道路公団から救急隊設置の財政措置(日本道路公団救急業務支弁金)がなされ、救急車一台及び専任隊員九人により「高速救急隊」が伊予消防署に配置された。
 また、高速救急隊の配備に先立ち、救急業務を安全、確実、迅速に行うために、一九九六(平成八)年一一月、松山自動車道消防相互応援協定書及び応援協定書に基づく覚書を関係消防機関と締結、また同年一二月、救急業務等に関する覚書を、日本道路公団四国支社と締結し、高速道路での災害を相互が連携をして対応できる体制を構築した。

 携帯電話一一九通報受信運用開始
 近年の社会環境の変遷に伴い携帯電話の普及が急速に進み、携帯電話からの一一九通報が急増してきたが、携帯電話から一一九通報すると自動的に、松山市消防局へ入電するシステムになっていた。そのため伊予消防署に直接通報ができないため、消防通報の遅延及び正確な情報の伝達に支障が生じるので松山市消防局の協力を得て、同消防局から伊予消防署への専用回線による転送装置の整備をして、一九九八(平成一〇)年四月から携帯電話による伊予消防署への一一九通報ができるようになり、災害の早期通報が可能となった。

 高規格救急車の配備
 従来、消防機関に導入されている救急自動車の大部分は、搬送機能中心のものとなっていたが、救急救命士により拡大された応急処置を行うために、必要な構造及び設備を有する高規格救急自動車を整備する必要が生じた。
 二〇〇〇(平成一二)年三月に救急業務高度化資機材緊急整備事業による国の補助を受け、高規格救急自動車を二、五八四万二、〇〇〇円で購入した。装備品として、高度救命処置用資器材・気道確保用資器材・半自動式除細動器・輸液用資器材・血中酸素飽和度測定器・心電図伝送装置及び自動車電話などが搭載され、救急救命士による高度救急救命処置などの特定行為ができるようになった。

 救急救命士による特定行為の業務開始
 伊予消防署では、二〇〇〇(平成一二)年四月から救急救命士二人により、二四時間体制で救急救命士による特定行為の業務を開始した。
 救急救命士が、これら一定の救急救命処置を行う場合の医師の「具体的な指示」を得る手段として使われる、心電図受信装置を救急指定医療機関に置く必要があるため、松山市と協議をして、松山市消防局が既に設置している一〇病院のものと更に伊予消防等事務組合が三病院に増設することで、計一三病院の心電図受信装置を双方が共用できることとし、救急救命士が円滑に特定行為ができる体制が確立され、救急患者に対する救命率の向上が図れるようになった。

常備消防体制図

常備消防体制図


第94表 消防本部消防署の組織(昭和四八・三・三一)

第94表 消防本部消防署の組織(昭和四八・三・三一)


第95表 消防本部消防署の組織(昭和六〇・四・一)

第95表 消防本部消防署の組織(昭和六〇・四・一)


第96表 消防本部消防署の組織(平成一六・一・一)

第96表 消防本部消防署の組織(平成一六・一・一)


第97表 歴代組合長

第97表 歴代組合長


第98表 歴代消防長

第98表 歴代消防長