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伊予市誌

1 制度の沿革

 古くから言われているように、貧困と疾病の間には、個人では断ち切ることができがたい悪循環があり、この貧困と疾病の悪循環を断つために、個人の経済にとって一大脅威となっている医療費負担問題を解決しなければならない。
 旧国民健康保険法は、医療費負担を軽減し、不況にあえぐ国民生活、特に農山漁村の生活の安定を図ることを目的として、一九三八(昭和一三)年四月法律第六〇号をもって公布され、同年七月一日から施行された。当初の国民健康保険は、市町村の区域を基礎とする国民健康保険組合を経営主体とするもので、組合の設立及び組合への加入が任意であったほか保険給付の内容などにおいて、必ずしも社会保険としての実質を十分備えたものとは言い難いものであった。しかしながら、本制度は、時代の推移とともに幾多の変遷を重ね、前後八回にわたる法律改正により、その基礎の確立及び保険財政の健全化が図られ、これに伴って保険給付の内容も逐次改善をみてきた。
 一九五一(昭和二六)年の第五次改正で、市町村の目的税として国民健康保険税を創設して財政の健全化を達成しようとした。一九五三(昭和二八)年には療養給付費に対する二割国庫補助の交付を実現し財政強化を図っている。
 その後、一九五五(昭和三〇)年の第七次改正で、従来の奨励補助金の性格を改め国の義務補助金とし、その補助率が法定化された。
 国民健康保険制度は、幾多の改正を経て逐次充実発展してきたが、一九五七(昭和三二)年、政府は医療に関する国民皆保険を実現する方策を決定するに至り、健康保険制度とならんで我が国医療保障制度の二大体系を形成することになった。