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伊予市誌

3 隔離病舎

 一八七九(明治一二)年コレラ病仮規則の施行によって各町村は、その地区内に隔離病舎を建設することが義務づけられた。各町村郷土誌によるとその状況は次のとおりである。

  郡中町
    郡中町では、明治廿八年郡訓令第五十五号を以て交付せられたる避病舎は郡中町郡中村松前村の一町二村の避病舎規約により之を維持共用することを同年三月十四日請願し同年五月二十日許可せらる。明治三十四年伊豫郡郡中村下吾川字南西原千七百五番地へ避病舎組合(郡中町郡中村松前村)にて隔離避病舎を建築す
  郡中村
   明治廿八年九月隔離病舎設置
  南伊予村
  一 施設(前段略)同左ニ隔離病舎ノ設備ヲ掲ゲン
   本村 隔離病舎 一
   位置 大字上野字客ノ間九百六十五、九百六十六番地
   建設年月日 明治廿九年十一月落成
         同四十三年五月消毒所洗濯所増設
  北山崎村
   本村ニオイテハ大字尾崎ニ敷地二段七歩建坪七十三坪ノ伝染病隔離病舎ヲ建築シタ。(後略)
  南山崎村
   明治二八年八月隔離病舎ヲ新築シ衛生思想ハ長足ノ進歩ヲシタ。

 郡中町、郡中村、松前村避病舎組合は、その後松前村は一九二二(大正一一)年に松前町となり、郡中村は一九四〇(昭和一五)年郡中町と合併し、郡中町・松前町隔離病舎組合となる。
 各町村の隔離病施設は、伊予市に引き継がれたが、郡中町・松前町隔離病舎組合の施設だけを残し、漸次廃止された。
 一九五九(昭和三四)年郡中町・松前町隔離病舎組合は、伊予市・松前町共立衛生組合と改称し、その隔離施設は一九六三(昭和三八)年三月松山伝染病院組合に加入するまで存続した。
 一九九九(平成一一)年伝染予防法の廃止に伴って、松山伝染病院組合は解散し、桧山伝染病院は廃止された。