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伊予市誌

5 火葬場

 人は死ぬと棺に入れ、近親者で葬儀を行い、土葬にする習慣が長く続いた。昭和年代になり、松山(和泉石手川堤防下)、森松(重信川南側)、新川に火葬場ができた。

 新川火葬場
 各家では火葬場で、荼毘に付し、遺骨を壷に入れて持ち帰り、共同墓地に葬るようになった。一九五八(昭和三三)年、新川の火葬場が改築落成した。一九五九(昭和三四)年一一月九日、伊予市・松前町共立衛生組合規約が定められ、以後この規約によって火葬場が運営され、市民は新川火葬場を利用してきた。
 最近の生活環境の進歩と、年々増加する火葬によるばい煙・悪臭などの諸問題、施設の老朽化など、新たな施設の建設が強く望まれた。

 広域斎場「聖浄苑」
 伊予地区消防事務組合を基盤とする広域斎場建設の合意を得て、一九八二(昭和五七)年七月、一部事務組合の規約の変更許可を得、組合の名称も伊予消防等事務組合と改め、伊予市大平一九六八番地に、広域斎場の建設をした。敷地面積八、五六三平方メートル、建築面積一、三二七平方メートル、火葬炉五基など機能と設備は、最新の技術を導入して、明るく近代的な施設をもつもので、総工事費六億二、七四〇万円を投じて、一九八三(昭和五八)年五月完成し、同年六月一日から伊予市・松前町・砥部町・双海町・中山町・広田村の広域斎場「聖浄苑」として共用することになった。
 同施設の老朽化に伴い、三か年計画で平成一四年度は本館棟、平成一五年度は待合棟、平成一六年度は式場棟の改修工事を行った。また、改修工事を実施する際、近年大きい遺体の増加により全部の火葬炉を大型炉に改修し、円滑な火葬業務の向上を図った。総工事費は二億三、二六〇万円であった。
 広域斎場「聖浄苑」開苑以降の使用状況は第76表のとおりである。

第76表 火葬炉等使用状況

第76表 火葬炉等使用状況