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伊予市誌

6 民間活動

 民生(児童)委員
 現行の「民生委員法」が制定されるまでの基礎をなす過程は次のとおりである。
 方面委員会の制定 一九三六(昭和一一)年一一月一三日に公布されて翌一二年一月一五日から施行された。
 民生委員令の制定 一九四六(昭和二一)年九月一三日に公布されて同年一〇月一日から施行となった。
 民生委員法の制定 一九四八(昭和二三)年七月二九日に公布されて即日施行となった。なお、同法の改正法は一九五三(昭和二八)年八月一日に公布され、即日施行となった。
 国が方面委員会の制定をするよりさき、愛媛県では一九二三(大正一二)年一一月に県訓令で愛媛県方面委員制度が定められた。民生委員制度の創始は一九一七(大正六)年五月に設置された岡山県の救世顧問制度と、翌年一〇月設置された大阪府の方面委員制度によって代表されるといわれている。これは、我が国の社会事業史上画期的なことであった。その後、一九二八(昭和三)年には全国の府県に普及するようになった。方面委員会施行後は全国の市町村にも方面委員会が設置された。戦後、日本の国家社会は大きな変革を余儀なくされたが、方面委員制度も新時代に即応するように内容もしっかりした民生委員会が制定されて、方面委員会は名称も民生委員会と改められた。
 民生委員は生活保護法による補助機関で児童福祉法による児童委員など、終戦後に制定された社会福祉立法の第一線運営機関としての法的な立場を占めることになった。引揚者の定着援護、留守家族・遺族・母子世帯などの相談援護、要援護者に対する物資の配給、各種の証明、各種の調査、共同募金をはじめ各種募金への協力など、あらゆる社会福祉施策の推進上極めて重要な任務を果たすことになった。したがって民生委員は社会福祉行政の末端運営で直接活動して民生の安定に大きな力となった。一九五三(昭和二八)年の民生委員法の改正後は福祉事務所その他関係行政機関への協力機関としての性格が明らかにされ、本来の地域住民の福祉を増進する民間の奉仕者として、自主的な活動を展開することになった。
 本市においては担当地区を定め、六三人の民生委員が活動を続けている。

 共同募金
 この運動は一九四七(昭和二二)「国民たすけあい共同募金運動」の名のもとに始まった。これは社会福祉事業に対する国民総参加の理念に基づいて、民間社会福祉活動の財源確保をするために実施されたものである。本市でも毎年一〇月一日から一二月三一日まで「赤い羽根運動」として、伊予市共同募金会が中心になって各関係機関団体の協力を得て戸別・街頭・法人募金などの方法によって目標額達成に努力をしている。この「赤い羽根運動」は発足以来住民の深い理解と協力のもと強く推進されて時代の要請に即応した民間社会福祉事業の伸展に大きく寄与している。

 保護司
 明治時代、市内在住の寺院住職によって免囚保護事業として、慈善救済の心と再犯を防止して社会のために役立つという目的で始められた。一九二三(大正一二)年一月一日に保護司制度が法制化され、一九三八(昭和一三)年九月一三日には全日本司法保護事業聯盟から、全国の民間篤志家などに司法保護委員が委嘱された。一九三九(昭和一四)年九月一四日に司法保護委員制度が法制化され、一九五〇(昭和二五)年五月二五日の保護司法(昭和二五年法律第二〇四号)の公布により保護司の名称となった。一九五二(昭和二七)年八月一日には少年保護司・成人保護司の区別が廃止された。
 保護司は法の規定によって法務大臣から委嘱されており、その使命として社会奉仕の精神をもって、罪を犯した者の改心及び更生を助けるとともに犯罪予防の世論の啓発に努めて、地域社会の浄化を図り、個人及び公共の福祉に寄与すること(第一条)とされている。現在伊予市内保護司は一三人で、それぞれの保護区域内において、その職務に当たっている。

 更生保護婦人会
 本市の更生保護婦人会は一九六五(昭和四〇)年二月に結成された。それ以来、地域社会を基盤として婦人のもつ温かい母性愛によって犯罪の予防及び犯罪者や非行青少年の改善更生に対して側面から協力や援助をしている。このほか、「社会を明るくする運動」への参加、保護司活動への協力、矯正保護施設の慰問激励などを行い、犯罪のない明るく平和なまちづくりに活発な運動を続け、松山保護観察所長・松山少年院長から感謝状を受けている。

 人権擁護委員
 人権擁護委員は人権擁護委員法(昭和二四年五月三一日法律第一三九号)に基づいて法務大臣から委嘱され、国民の基本的人権が侵犯されることのないように監視し、これが侵犯された場合には救済のための適切な処置を採るとともに、常に自由人権思想の普及及び高揚に努めることを使命とされている。現在当市におかれている人権擁護委員の定数は六人であり、各委員は自由人権思想の啓発、人権侵犯事件の救済、人権相談の助言、貧困者に対する法律扶助など、市民の日常生活につながる社会福祉の一環事業として広範な擁護活動を展開している。

 人権週間
 国際連合は一九四八(昭和二三)年一二月一〇日、第三回総会で「世界人権宣言」を採択し、毎年一二月一〇日を「人権デー」として加盟国に人権思想啓発のための行事を実施するようすすめている。我が国でも毎年一二月一〇日を最終日として一週間を「人権週間」と定め、世界人権宣言の精神の周知と人権思想の高揚を図ることに努めている。

 V・Y・S
 Voluntary Youth Social Workers Movement(青年社会事業家)の略称で、「友愛」「奉仕」「理想」の三つの綱領を掲げて運動を展開している。この運動は一九五二(昭和二七)年八月に我が愛媛県で起こり、群馬県や長野県から、更に北海道や沖縄県へと全国的に広まって、一九六八(昭和四三)年八月には全国組織が結成された。
 伊予市V・Y・S連絡協議会は一九五五(昭和三〇)年に結成され、その後会員の熱心な活動によって青年の情熱と正義感をもって社会福祉の増進に多大な貢献をしてきた。主な活動内容としては、子ども会の指導、児童遊園の遊具の修理や遊びの指導、母子家庭児童のキャンプ指導、教育キャンプ村の指導、福祉施設の慰問や奉仕、地域の清掃美化・事故防止活動・愛護班活動への協力などがあげられる。

 日本赤十字奉仕団
 赤十字は元来「全世界の多数の奉仕者によって遂行される篤志的な事業」である。我が国においては日本赤十字社で、一九四七(昭和二二)年に日本赤十字社奉仕団要領を立案し、全国の市町村を単位とする赤十字奉仕団の結成を呼びかけた。その結果数年にして全国に多数の奉仕団が結成されたが形式的外見を整えたという程度にとどまった。そこで、日本赤十字社では奉仕団制度を整備するため、一九五六(昭和三一)年一〇月八日、赤十字奉仕団規則を制定し新たな姿で再出発することになった。
 本市では日本赤十字社愛媛支部から奉仕団結成の要請もあって、地域婦人会の組織を通じて団員勧誘につとめ、一九五七(昭和三二)年に伊予市日赤奉仕団を結成して今日に及んでいる。
 奉仕団は奉仕団規則第一条に示されているとおり、「赤十字の博愛人道の精神に基づいて明るい住みよい社会を築きあげていくために必要な実際的事業に奉仕するもの」であって、奉仕団が他団体と異なる性格として、国際性をもつ特殊的立場にあるといえる。そして活動面では、災害時の救助に率先して奉仕活動を行うとともに平時にあっては保健衛生・社会福祉などの奉仕活動に当たるとされている。
 本市では幸いにしてまだ奉仕団が出動するような大災害は起きていないが、団員の資質向上のため救急看護講習会等、各種の研修を毎年計画的に実施している。また、活動面では災害義損金品の募集、墓地や神社公共建物などの清掃、保健衛生に関する各種事業への奉仕、社会福祉施設への慰問など、それぞれの地域の事情に合った活動を行っている。