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伊予市誌

1 国民年金

 国民年金制度は、老齢・障害・死亡などによって、国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によって防止し、健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的として一九五九(昭和三四)年四月に創設された。
 この事業は、政府が管掌することとしているが農林漁業従事者・自営業者・零細企業従事者など、他の公的年金制度の適用を受けない人をこの制度の対象としているため、直接の窓口事務については住民とつながりが最も深い市町村長に委任された。
 年金の給付は、一九五九(昭和三四)年一一月から老齢福祉年金(月額一、〇〇〇円)、翌一九六〇(昭和三五)年三月から障害福祉年金(月額一、〇〇〇円)が支給された。更に拠出制年金は、同年一〇月から被保険者の適用事務が開始され、翌一九六一(昭和三六)年四月から保険料の納付が始まり、福祉年金に続いて拠出制年金事務が開始されたことによって、国民年金法全般にわたる事務が実施されることになった。
 本市においては、制度発足当初、同制度の啓発活動に努め、各地区へ出向いての説明会を行うなど住民への周知徹底を図るとともに、福祉年金支給対象者及び拠出年金被保険者の調査が進められた。保険料の納付については、地域納税組合を中心に婦人会・老人クラブなどの協力を得て市内全域に納付組織が結成され、その数は二五〇団体に達した。
 当初、福祉年金のほか、拠出制年金では障害年金・母子年金など一部の給付でその件数もわずかであったが、一九七一(昭和四六)年四月から初めて拠出制年金における老齢年金の支給が開始され、市民の国民年金に対する関心が急速に高まった。また、翌一九七二(昭和四七)年一〇月から、複雑な保険料の納付事務を合理的に処理するため、これまでの年金手帳に印紙を貼り検認の印を押す方法から、他市町村に先がけて納付書方式を採用したことによって、加入率・納付率も次第に向上する傾向を示した。
 国民年金加入率・保険料納付率が良好なことによって、これら保険料は国民年金積立金として国庫に積み立てられ、再び地方公共団体に還元融資され、本市においてもこの融資を受け、地域改善対策事業、市民会館・保育所・公民館・簡易水道施設・デイサービスセンターの建設など諸事業が施行され、市民の福祉向上に大きな役割を果たしている。
 急激な高齢化、扶養意識の変化などに伴い、年金制度に寄せる期待が高まり、一九七三(昭和四八)年の制度改正では、物価スライド制の導入、福祉年金等の改善、年金額の引き上げが実施され、昭和五〇代後半に入ると制度も成熟期を迎え、本市においても受給者が多く出始め、受給についての業務が本格化した。
 一九八五(昭和六〇)年の年金改革では、年金制度の長期的安定と世代内・世代間の公平性を確保することを目的に、一九八六(昭和六一)年四月から仝国民を対象とする基礎年金制度に発展させ、各制度に国民共通の基礎年金が導入され、被用者年金制度の被保険者(第二号被保険者)及びその配偶者(第三号被保険者)も国民年金の被保険者とすることとなった。
 昭和五九年度から収納管理の効率化を図るため電算を導入し、平成元年度には保険料の口座振替を開始、また、平成六年度からは電算の自庁導入により収納管理の迅速化・効率化が一層促進された。平成九年一月一日から基礎年金番号が導入され、届出の簡素化による行政サービスの向上や未加入者の防止が図られることになった。
 地方分権一括法の施行により、国と地方自治体とが分担すべき役割が明確となり、国民年金事務は「法定受託事務」として引き続き市町村が行う事務とされたが、平成一四年度から保険料収納事務が国に移管され、市町村では、適用事務、給付事務・制度周知・相談業務を主に行うこととなった。
 超少子高齢化社会を迎えた今日、将来の年金給付に対する不安や低迷する景気などの影響から、保険料収納率の低下傾向が顕著になりつつあり、国民からの信頼が得られる持続可能な公的年金制度としての再構築が大きな課題となっている。