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伊予市誌

5 老人福祉

 我が国の老人問題は早くから重要な社会問題であったが、近年における少子高齢化や社会・経済情勢の変化などに伴って、ますます社会の強い関心を集め、老人福祉の推進は国の重要な施策の一つとされている。
 老人福祉法(昭和三八年七月一一日法律第一三三号)は同年八月一日に施行された。同法第二条には老人福祉の基本理念が示されているが、それによると、老人は多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として敬愛され、かつ、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとするとあり、更に、老人は老齢に伴って生じる心身の変化を自覚して常に心身の健康を保持し、その知識と経験を活用して、社会的活動に参加するよう努めることや、老人の希望と能力に応じ、適当な仕事に従事する機会とその他社会的活動に参加する機会を与えられることが明らかにされている。

 老人ホーム
 老人福祉法では、老人ホームとして特別養護老人ホーム、養護老人ホーム及び軽費老人ホームが規定されており、これら老人ホームへの入所は、老人の心身の状況・経済的要件等により区別されている。

 伊予市養護老人ホーム
 老人福祉法に定められた養護老人ホームとして一九六三(昭和三八)年八月一日から発足し、該当老人を収容して養護している。同ホームは当初「伊予市養老院」の名称で一九五七(昭和三二)年五月一日から、生活保護法に規定されていた養老施設(老衰のため独立して日常生活を営むことのできない要保護者を収容して、生活扶助を行うことを目的とする施設)として事業を開始した。初代院長には当時の市長城戸豊吉が就任し、主事一人、寮母一人・看護婦一人・労務員二人・嘱託医一人の職員が収容老人(定員三〇人)のケースワーク、給食、保健衛生、教養娯楽などの業務に当たった。同ホームは一九五六(昭和三一)年一二月二七日から一九五七(昭和三二)年三月三一日の間に木造スレートぶき平屋建て四五〇・五四平方メートルの施設が市内上野に建設された。その後一九六四(昭和三九)年四月には普通部屋四、夫婦部屋二、面接室等を含むブロック造平屋建て二一三・一二平方メートルが増築された。これによって収容定員は五〇人となった。伊予市養護老人ホームの利用者は昭和四〇・四一年度の五三人を最高として、昭和四八年度は四一人となり、一九七六(昭和五一)年四月松山養護老人ホーム事務組合に加入するまで存続した。一九七九(昭和五四)年一二月には特別養護老人ホームを持つ松山広域福祉施設事務組合に加入した。現在跡地は「いよ幼稚園」として利用されている。

 老人福祉センター
 老人に健康で明るい生活を営むことを目的とし、各種の相談、健康の増進、教養の向上及びレクリエーションのための便宜を総合的に供与しようと、同センターは一九七四(昭和四九)年二月から建築工事を始め、同年一〇月に完成した。鉄筋コンクリート建て、六八八・〇八平方メートル(集会室・娯楽室・機能訓練室・相談室・浴室)の施設で、市内米湊、旧郡中中学校跡地の福祉文化センター一階に建設された。
 二〇〇〇(平成一二)年一〇月には一部改装して老人デイサービスセンター「じゅらく」を開設した。

 老人クラブの活動
 老後の生活を健康で豊かなものにすることを目的にして、同一小地域内に居住する、おおむね六〇歳以上の者が自主的に集まって老人クラブをつくり、お互いの教養の向上、健康の増進、レクリエーション及び地域社会との交流などを行っている。
 当市は、一九六一(昭和三六)年七月、伊予市老人クラブ連合会(会長楠本広行)を結成し、クラブ活動のための情報交換や諸行事の連携を図り活発な活動を展開してきた。主な事業として老人スポーツ大会・老人のつどい・高齢者健康づくり事業・高齢者相互支援推進事業・クロッケー・ゲートボール大会・ことぶきフェスタを行っている。二〇〇三(平成一五)年四月現在、二七の老人クラブがあり、それぞれ地域に即しか活動を行っている。

 敬老の日
 老人福祉法の制定当初、九月一五日を「敬老の日」と定め、国民の間にひろく老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促すために、ふさわしい事業の実施方について同法に規定された。一九六六(昭和四一)年六月、国民の祝日に関する法律の改正があり、「老人の日」を国民の祝日として「敬老の日」と改められ、諸行事が行われることになった。「敬老の日」にかかる関連事業は一九四六(昭和二六)年に行われた全国社会福祉協議会において「としよりの日」及び「としよりの福祉週間」の実施方が決議されて以来、国民的行事として全国的に行われてきた。
 二〇〇二平成一年老人福祉法の改正により二〇〇二(平成一四年に九月一五日が「老人の日」、同二一日までの一週間が「老人週間」と定められた。また、国民の祝日に関する法律の改正により二〇〇三(平成一五)年から「敬老の日」が九月の第三月曜日となった。
 本市においては市制発足前からそれらの関連事業が実施され今も続けられている。なかでも敬老会は毎年、市が主催して数え年七五歳以上の老人を招待し、広報区長・民生委員・婦人会・社会福祉協議会等の協力を得て盛大に開催している。当日は高齢者への記念品贈呈、老人の慰安、演芸など老人への感謝と長寿を祝う催し物を行っている。

 在宅福祉
 二〇〇〇(平成一二)年四月からの介護保険制度の導入により、要援護高齢者対策として実施してきた訪問介護事業など在宅福祉サービスの大部分は、介護サービスに移行された。
 福祉事務所においては、高齢者が要介護状態にならないための介護予防・生きがい活動支援サービス(介護予防教室・生きがい活動支援デイサービス・生活管理指導など)、生活支援サービス(配食サービス・外出支援サービス・軽度生活援助など)又は家族介護支援サービス(家族介護教室・介護用品の支給・家族介護者交流など)を提供することにより、高齢者の自立と生活の質の確保を図るとともに、在宅高齢者に対する生きがいや健康づくり活動及び寝たきり予防のための知識の普及啓発などにより、健やかで活力ある地域づくりを推進し、要援護高齢者及びひとり暮らし高齢者並びにその家族などの総合的な保健福祉の向上に努めている。
 また、在宅介護などに関する総合的な相談に応じ、それぞれのニーズに対応した各種の保健、福祉サービスが総合的に受けられるようにするために、二〇〇一(平成一三)年から基幹型在宅介護支援センターを伊予市社会福祉協議会に設置している。地域型在宅介護支援センター(三か所)と連携し、行政、サービス提供事業者及び居宅介護支援事業所などとの連絡調整を図り、高齢者及びその家族などの福祉の向上を図っている。
 老人福祉法に定められた老人デイサービスセンターとして、二〇〇〇(平成一二)年三月に伊予市老人デイサービスセンター「もものさと」を、同年一〇月には「じゅらく」を開設した。また、二〇〇二(平成一四)年四月には高齢者福祉増進施設「唐川ふれあいプラザ」を設置した。通所により各種のサービスを提供することにより、在宅の要援護高齢者の生活の助長、社会的孤立感の解消、心身機能の維持向上などを図っている。

 福祉バス
 二〇〇〇(平成一二)年六月から運行を開始した福祉バスは、福祉センターなどでの機能訓練を目的とした送迎用の福祉バスサービスで、高齢者、身体障害者などに対して交通手段を提供し、地域の福祉の増進を図っている。市内に五路線設定し、一日に一路線二往復の運行を行っている。年間利用者延人数は約九、〇〇〇人である。

 高齢者家庭相談員
 本市における在宅独居老人は一九七三(昭和四八)年一二月に伊予市社会福祉協議会が行った調査によると一五七人であったが、一九八五(昭和六〇)年は二八七人、二〇〇三(平成一五)年には六二二人となり、これら在宅独居老人の援護策の一つとして一九七三(昭和四八)年一月から伊予市社会福祉協議会会長の委嘱によって高齢者家庭相談員が活動している。この相談員(五三人)は定期的に独居老人の家庭を訪問して老人の生活及び心身上の問題などの相談に応じ、適時適切な助言指導を行うとともに各関係機関との連携を密にし、不測の事故や災禍の防止に努めている。

 老人医療費公費負担制度
 本市における老人医療費公費負担制度は一九七一(昭和四六)年一〇月一日から、七五歳以上の老人を対象に始められた。その後、老人福祉法の一部改正によって、一九七三(昭和四八)年一月から七〇歳以上の者の疾病又は負傷について、健康保険法(大正一一年法律第七〇号)、国民健康保険法(昭和三三年法律第一九二号)、その他政令で定める法令の規定による医療に関する給付が行われ、医療費の自己負担分を公費負担にすることにより、老人が必要とする医療を容易に受けられるようになった。更に、同年一〇月からは、六五歳以上のねたきり老人も、この制度の対象者となった。
 しかし、本格的な高齢化社会の到来に対応し、疾病の予防から治療、機能訓練に至る総合的な保健事業を実施するとともに、老人医療費を国民皆で公平に負担するため、一九八三(昭和五八)年二月、老人保健制度が施行されたことから、老人福祉法の医療費支給制度は終了することとなった。