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伊予市誌

2 郡区町村編成法と郡役所

 郡区町村編成法
 一八七八(明治一一)年七月二二日、太政官布告をもって、郡区町村編成法が公布され、従来とかく不評であった大・小区制を廃して、もとの町村名をもってそれらの単位とした。このため愛媛県では郡区町村編成法に基づいて、同年一二月一六日これを実施したが、そのうち伊予郡については次のとおりとなっている。

 郡役所
 伊予郡役所(第131図)の所在地を郡中と定め、初代郡長に山下氏潜が任命された。管内町村数四五、戸長役場数二八、管内戸数六、四二五、管内人口二万九、三五三、耕地反別三、八一七町となり、同時に従来の区長、戸長は解任された。
 郡制当初の愛媛県の郡は、宇摩郡・新居郡・周布郡・桑村郡・越智郡・野間郡・風早郡・和気郡・温泉郡・久米郡・上浮穴郡・下浮穴郡・伊予郡・喜多郡・西宇和郡・東宇和郡・北宇和郡・南宇和郡の一八郡であった。
 一八八五(明治一八)年五月、愛媛県布達月報によると、伊予市に関係ある旧町村名として、八倉村・宮下村・上野村・上三谷村・下三谷村・上吾川村・下吾川村・湊町・灘町・米湊村・稲荷村・尾崎村・市場村・三島町・森村・本郡村・中村・三秋村・大平村・下唐川村の三町一七か村があげられている。同年三月二八日県布達甲四〇号をもって「数町相集リ自ラ一区域ヲナス、即チ別紙各町ノ義ハ今ヨリ頭書ノ総称ヲ冠スベシ」と布達した。その頭書の説明のなかに、郡中(湊町ほか一町・以下名称を略す)とあり、湊町ほか一町というのは灘町を指していることはいうまでもない。これで郡中灘町と公式に称するようになった。こうした整備が、やがて一八八九(明治二二)年の市制・町村制実施のときにおける自治体構成の素地を作った。