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伊予市誌

3 人々の生活

 狩猟の対象となったナウマン象やヘラジカなどの大型獣の生息地は、水草の豊富な伊予灘盆地一帯であった。だが、当時の人々が生活していたのは山麓台地上であった。それは大型獣の襲撃から逃れるために、針葉樹林帯先端部に住居を設けたからではなかろうか。狩猟は尖頭器や細石刃を埋め込んだ投げ槍や木槍、骨槍を用いたり、落とし穴を設けて、集団で行っていたようである。このようにして得た動物はナイフ形石器や削器、掻器などで皮を剥ぎ、肉を切って調理していたようである。皮は防寒用の衣服として利用していた。当時の人々は短い期間は住居を設けて生活をしたが、基本的には獲物の動物を求めて、転々と移動する生活であった。
 古いナイフ形石器などはサヌカイトを使用していることから、香川県から運び、この地で石器に加工していたようである。石器を作る際に出る剥片が出土していることがそのことを物語っている。また、サヌカイトは遠方から運ぶため貴重であった。そのため、同じ石からなるべく多くの石器を作る必要があり、石材産地である香川県の石器に比較すると、一回り小さくなっている。のちの三秋新池遺跡などの時期になると、入手困難なサヌカイトに代えて、森川上流や中山川流域に産するやや石質の悪い赤色珪質岩やチャートを利用するようになった。サヌカイトなどは香川県から頭に乗せたり、肩に担いだりして運搬したものであるが、そのような人々は、あわせて生活の情報を伝える役目も果たしていたようである。同じ形の石器が出土しているのもそのためかも知れない。