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伊予市誌

9 遺体植物

 森の浜の扶桑樹 
 伊予鉄郡中港駅から南西約三㎞の森地区の海岸には、約百万年昔に茂っていたといわれるメタセコイヤ等の化石を含んだ地層がある。この化石についての調査は、松山の八木繁一と郷土の日山克明の手によって詳しく発表されている。以下それを記載する。

 扶桑木の伝説 
 一七九四(寛政六)年伊予松山円光寺、明月和尚の書いた「扶桑樹伝」から扶桑木の伝説を見ると次のようである。
 扶桑樹伝①参照
(自分はこのように聞いている。日本の初め、中国に対して誇り得るものは、特に扶桑樹であった……)
 扶桑樹伝②参照
(景行天皇が熊襲を西征し、その帰りに伊予の国に立ち寄った……この時初めてたおれた大木を見て驚き、問うてとうとうその実際を知ったのであろう。後に六百三十余年に舎人親王がこれをまとめて日本記に記載した)
 西の国の人は朝日を見たことがなかったといい、東の国の人は夕日を見なかったということも書かれている。このことからも扶桑木が巨樹であったということ、森の海岸に古くから産したこと等が考えられる。この海岸はがけくずれの多いところで年々その姿が変化している。海岸は次第に後退し、川は海辺でせき止められて川口を認めることができない状態である。この原因には次のようなことが考えられる。傾斜が急なこと、断層線に沿っていること、地盤が軟弱であること、また沈下したこと、伊予灘を真西に受けているため波浪の激しいことなどである。

 森の浜の化石 
 森の浜の頁岩に出ている材を取って、構造を調べてみると、仮道管や放射組織の状態から裸子植物であることがわかる。この裸子植物はメタセコイヤ・オオバラモミ・クワウエフザン・トガサワラなどである。主なものについてその特徴を見ると、次のようなことがいえる。
○メタセコイヤの葉は先がとがり、中肋(主脈・複葉の軸のこと)は明らかで、短技基部に数枚の鱗片を持ち葉は対生である。雌花のきゅう果は丸くて柄を持ち、果片は二〇内外あって、たて状部はひし形で中央は横に細長く凹んでいる。
○オオバラモミの葉は鎌形の丈夫なもので先はするどくとかっている。きゅう果は長大で性状はバラモミによく似ている。バラモミは現在南宇和郡一本松町の篠山に野生している。
○トガサワラの葉は長さ二・五㎝、中肋が下につきでている。きゅう果の鱗片は大形で非常に厚く丈夫である。現在土佐および紀州の一部に野生している。
○ハンノキのきゅう果はだ円形で、長さ一・五~二・〇㎝あり、果鱗はくさび形である。メタセコイヤのきゅう果とよく似ているの でまちがいやすい。
○エゴノキはエゴノキ科に属し現存する。
○シキシママンサクは第三紀のマンサク科の植物で、二個または数個の果実が集まったのがある。
○ハシバミはカバノキ科に属し現存している。
○ザラミエゴノキは第三紀のエゴノキ科植物である。
○ヒメカリヤクルミは第三紀のクルミ科の植物である。

 森の浜にでる遺体植物の分科的配列
 裸子植物
○マツ科 トウヒ属 オオバラモミ
     トガサワラ属 トガサワラ
○スギ科 メタセコイヤ属 メタセコイヤ
     クワウエフザン属 クワウエフザン
 双子葉植物
○カエデ科 カエデ属 カエデ類の実
○カバノキ科 ハンノキ属 ハンノキ
       ハシバミ属 ハシバミ
○ミズキ科 ミズキ属 ミズキ類の実
○トウダイグサ科 アブラギリ属 アブラギリ
○ブナ科 ナラ属 ナラガシワの葉
     クリ属 クリ類の葉
○マンサク科 マンサク属 シキシママンサク
○ミツバウツギ科 ミツバウツギ属 ミツバウツギ
○エゴノキ科 エゴノキ属 エゴノキの実・ハクウンボクの実
○センダン科 センダンの実
○モクレン科 タムシバの実
○ヤナギ科 ヤナギ類の葉
 以上のような遺体植物を得た。
 森の浜の第三紀層は、愛媛県の天然記念物に指定されている。遺体植物などの採集はできないことになっているので観察だけですますようにしなければならない。がけ崩れによる落石を採取し、ハンマーで割れば標本がとれる。

扶桑樹伝①

扶桑樹伝①


扶桑樹伝②

扶桑樹伝②