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伊予市誌

2 伊豫岡八幡社叢の植物

 海岸に近く温暖でこの地方としては比較的多湿という条件を備える伊予岡八幡の社叢は、古墳群造営に伴う二次林ではあるが中予の平野部唯一とも言える自然林である。面積一、八〇〇平方mに過ぎないが、優占種が常緑広葉樹のモガシ(ホルトノキ)、タブノキ、ヤブツバキなどで占められ、つる性植物に富み、林内は四季を通じてうっそうと茂って昼なお暗い閉植生を示している。
 一九七五(昭和五〇)年には胸高幹周二m以上のモガシ、タブノキ、クスノキ、マツなどが第26図に示すように多く生育している。それらの樹下には陰樹の低木や幼木、耐陰性の草本、シダ植物が地面を覆い、安定した植生を保っている。
 この社叢は面積の割合に植物の種類が豊富で、一九七五年当時は科数約四〇、七〇種余が数えられているが、なお精密な調査を行えば一〇〇種に近いものと推定される。次にそれらの植物を表示する(第11表)。ただしその後の概況調査ではマツ類はほとんどザイセンチュウの犠牲になり、モガシの高木のうち数本が枯死しているため、社叢の外観はかなり変化している(第27図)。現在の植生については早急に調査する必要がある。
 第12表は一九七四年、第28図にA~Fの記号で示す地点に、それぞれ一〇m平方の方形をつくりその中の植物すべてについて被度、個体数を調査したものである。図の大樹の分布からも推察ができるように、社殿の南西部、E・Fの地点では陽樹のアカマツの群落(現在はほぼ消滅)が見られた。社殿の東南部・東部・北部(A~D)には、陰樹のモガシ(ホルトノキ)・タブノキの群落が見られる。このことから当然、社の創建された八五九(貞観元)年以前は陽当たりのよい土地であったため、成長の著しい陽樹が優占種として森林をつくり陽樹林期を形成していたと考えられる。その後遷移が徐々に行われ、現在の陰樹林を形成して来たものと思われる。
 第12表を資料として少しくわしく考察してみると、調査地点A~Dの社殿の東部・北部において陰樹の広葉樹が森林を形成している。亜高木層、低木層を通じてヤブツバキ・カクレミノ・モガシなどが優占種として存在していることがわかる。したがって、このままの状態が続けば安定した極相林の形を保持していくであろうと考えられる。この伊予岡の地勢が東部は八幡池を控え、北部はほとんど人通りのない草道と農地であり、社叢の自然環境を阻害するものが考えられない。そのため、自然の形で群落の遷移が行われて来たものと思われる。
 しかし、調査地点E・Fは社殿の南西部に当たり、調査当時はアカマツが優占種として群落をつくっていたことである。この地点は陽当たりが良いということもその条件であるが、車道に面した所であり、また人家が接近して建てられているなど、過去においても多分に自然に対する人工的な侵害の形跡が見られる。そのため他の地点と異なった植生を示していると思われる。しかし、E・Fの植相から考えると、このまま自然の状態が持続すれば徐々に遷移が行われ、他の地点と同様に極相林の形をとっていくであろう。ただヤダケが徐々に侵入し、また強健な帰化植物であるノハカタカラクサが急速に勢いを増していることは懸念される。
 伊予岡八幡社叢は前述のとおり中予地区平地を代表する暖地性植物の豊庫であるが、近年特に大樹の老朽化が進んだためかモガシの老木が数本倒れ、マツザイセンチュウのためほとんどのマツが枯れるなど貴重な豊庫が荒れていこうとしている。郷土の文化財としてみんなで大切に保護していきたいものである。

第28図 伊予岡八幡の大樹の種類(1975年ごろ)

第28図 伊予岡八幡の大樹の種類(1975年ごろ)


第11表 伊予岡八幡社叢の植物目録

第11表 伊予岡八幡社叢の植物目録


第12表 伊予岡八幡社叢の植生(1974年・2月調査)

第12表 伊予岡八幡社叢の植生(1974年・2月調査)