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伊予市誌

四二、キュウリ封じ (八倉)

 今から一三〇年ほど前の一八七七(明治一〇)年、八倉では楽しみにしていた夏祭りより一足先に、突然コレラという恐ろしい伝染病が流行し始めた。この伝染病は、今はもうほとんどなくなったが、昔はよく流行した。これにかかると、高い熱が出て、吐いたり、ひどい下痢をしたりして、体がどんどん弱り、「三日ころり」とも言われているように、数日で死んでしまうという病気であった。
 八倉の中組へもこの病気が入ってきた。そうして、飲み水や食べ物・食器などから、つぎつぎと伝染して、病人は激しい勢いでふえていった。それで大勢の人びとがつぎつぎと死んでいった。村人は埋葬する所にも困り、また、少しでもこの伝染病から遠ざかりたいと思って、金晶(松)山へ死体を葬った。そして、何とかしてコレラから逃れようと、不安な毎日を過ごすようになった。
 村人たちは、何とかせねばと何回も集まって話し合った。ある日のこと、一人の男が言った。
「氏神さんの『天王さん』の紋とそっくりの形をしたキュウリを作っとるぞ。あれがいかんのじゃないか。」
「それじゃあ、それがもとで、ばちがあたったのだろう。」
「そうだ。それにちがいない。」
ということになった。そこで、村人たちは、
「私たちは、今後いっさいキュウリは作りません。食べません。だから、コレラから私たちをお救い下さい。」
と天王さん(八重谷神社の祭神)に誓って、神様のおかげをこうた。それから村人たちは、一人残らずこのことを実行した。このような村人の一致協力の効き目があったのであろう、やっと恐ろしいコレラはおさまった。
 しかし、この後しばらくして、この神様への誓いを破ってキュウリを作ったために、大病にかかってしまったという人の話も残っている。
 このならわしは、ずっと村人の間に守られてきた。しかし、六〇年前の太平洋戦争のとき、食糧増産ということで、いろいろもめたが、結局、神主さんに頼んで、キュウリを自由に作ったり食べたりしてもよいように祈っていただいた。
 それからは、キュウリを作っても、悪い病気にかかるようなことはなかった。
 金晶(松)山には、今でもコレラ墓という呼び名の場所が残っている。村人が願をかけた天王さんは、合祀されたので、そのあとがすこし残されているだけである。
 この話は、八倉中組のことであるが、他の村々でのキュウリ封じは、病魔を紙に書き、それを法力によってキュウリに封じこめようとすることで、今も続いている。