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伊予市誌

三五、桜崖の地蔵尊 (上三谷)

 県道の伊予砥部線は、上三谷の大谷池に沿っで通っている。この道沿いの大谷池樋尻水路の上には、地蔵尊が立っているが、ここら辺りは、昔たいへんけわしい崖になっていた。
 今から四〇〇年ほど前、江戸時代の初めころ、武智刑部という役人が、上三谷の大替地にある大洲藩の役所に勤めていた。そのころ、上三谷の氏神は、砥部の七折の幣が峯に祭られていたので、毎月の祭には、この刑部が、大替地の役所から、いつも馬で通っていたという。
 ある夏のことであった。祭の勤めを終えた刑部が、このけわしい崖の所まで帰って来たとき、どうしたことか乗っていた馬が、急に暴れだした。あわてて一生懸命馬を静めようとしたが、かなわず、とうとう崖から谷底にふり落とされ、無念にも命を落としてしまった。村人たちは、そのことを哀れんだ。
 人びとは、この道の往来をこわがり、この崖を刑部が嶽・屏風が嶽・桜崖と呼んだ。というのは、この道は、昔から郡中と砥部を結ぶ大事な街道で、毎日多くの人や馬などが通っていたのだが、このことがあってからは、たびたび、この崖の所で、馬が急に暴れだしたり、大けがをする人や馬が、多くなったからである。
 そこで村の人たちは、武智刑部の無念の死が、たたっているにちがいないと考えて、ここに、やさしい仏である地蔵尊をまつることにした。今でもここを通る人は、この地蔵尊に交通の平安を祈っている。