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伊予市誌

三一、宝珠寺の絵馬 (上吾川)

 今から八二〇年ほど前の寿永のころ、伊予の豪族河野通信は、その子通俊らと源氏を助けて平家を討つため、谷上山に上り、宝珠寺の本尊千手観音に戦いの勝利を祈って一夜、おこもりをした。
 その夜のこと、通俊は本尊から駿馬(すぐれた馬)をお借りした夢を見た。不思議なことと思いながら、翌朝、山を下っていると、持ち主のわからない立派な馬を見つけた。思いがけないことに、昨夜の夢のことを思い出しながら、喜んでひとまず借りることにして、その馬を連れて帰った。
 翌日、通俊はさっそくこの馬に乗って出陣し、戦いに大勝することができた。通俊は戦いから帰ると、すぐに、
「この馬は普通の馬ではない、宝珠寺に奉納しなければならない。」
と決心して、この馬を引いて、戦勝のお礼をかねて宝珠寺に上ってきた。
 一方、宝珠寺の方では、お堂に掲げてあった絵馬(お寺やお宮に奉納された絵の額)の中の馬が、いつの間にか急に消えてしまっていたので、どうしたことかと不思議かっているところであった。そこへ馬を連れて通俊が上って来たので、みんな驚いてしまった。連れてきた馬がまったく絵馬と同じだったからである。通俊もそれを聞いて驚き、馬の鞍をはずした。するとたちまち馬が消えて、その馬はちゃんと絵馬の中に納まっていた。
 こんなことがあってから、河野家では、通信・通俊はじめ一族は、宝珠寺をたっとび、吾川村の山林と水田三二町歩(約三二㌶)を奉納したり、建物を改築したりしたので、宝珠寺はますます栄えた。