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伊予市誌

一九、大池の大入道 (米湊)

 米湊には池が多くて、一〇ほどもある。その中でも、七反にある大池は、特に大きくて、約二〇町歩 (約二〇㌶)の田へ水を引いていた。
 今から、五〇年ほど前の話だから、そう古い話でもないが、大池の水利係をしていた大元さん(後に郡中村の助役を務めた人)がある夜、いつものように池から約二町 (約二二〇㍍)上手の転水場(水を分ける場所)へ行くと、風もないのにちょうちんの灯がふっと消えてしまった。びっくりして辺りを見回すと、目の前に、にゅっと現れたのが大入道であった。ほの暗い中だったから、はっきりとはわからなかったというが、背の高さが、そばの二間(約三・六㍍)ほどある高い岸よりまだ五、六尺(約一・六㍍)も高かったというから、五㍍ほどの大入道であった。豆しぼりの手ぬぐいでほおかむりをし、ゆかたを着て、へこ帯(男の子などがする帯)をしめ、白たびに堂島下駄(表つきの立派な下駄)をはいていたという。驚いて見上げれば見上げるほど高くなっていく。大元さんは、もう気が気でなく、
「今後、この役はもういたしません。」
などと、とりとめもないことを口走りながら、家へ逃げ帰った。そして一か月余りも寝こんでしまった。
 その後、同じ村の向井鶴蔵という人が、中山へ家の用事で出かけたことがある。まだ交通も不便で遠い所だから、朝早く家を出た。この大池のそばを通りかかると、先の大入道が現れた。びっくりして、
「ごめんなさい。」
と夢中で言いながら。一散に逃げ帰った。なんとも不思議なことだが、こんなことがまだ、今の世の中にもあるのであろう。