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伊予市誌

一七、久美さん (稲荷)

 明治時代の初めころ、九州から来たという浪人風のみすぼらしい旅人が、郡中湊町の旅人宿「門茂」に来て泊まったが、長い旅の疲れからか、病気になってしまった。病気は思うようによくならず、心ならずも長く泊まりを続けていた。しかし、宿賃もしだいにたまったので、ある日、この旅人は、今まで大切に持っていた細長い桐の箱を、宿の主人の前へ差し出し、
「この箱の中の品は、広い日本国中でも二つとない珍しい不思議な品で、私の命同様に手放せない品なんですが、今日までの御親切にお報いするためには、これ以外にはないと思いまして、お預けいたしますから、宿賃にしてくださいませんか。」
と、言い残して、どこへともなく立ち去ってしまった。そこで、宿の主人がその桐の箱をあけて見ると、驚いたことに、支那ドンス(中国で作られた地厚い高価な絹織物)に包まれた、見事なキツネの尾が出て来た。尾の付け根の切りロは、もうミイラ化していて、尾は九つに分かれ、黄金色に輝いていた。
 この話は、やがて町に広がり、人々に不思議がられた。その中に、町の人五人ほどがこれを見せ物にして、ひともうけしようと相談し、「門茂」の主人にかけ合って、大金で譲り受けた。しかし、何分にも不思議な力のこもったものなので、持っていてもどうすることもできなくて、もてあますようになった。
 そこで、とうとう灘町の宮内小三郎さんら五〇人ほどの稲荷神社の氏子が買いとって、稲荷神社へ奉納した。一八七八(明治一一)年二月のことであった。
 それ以来、神社の宝として稲荷神社に大切に保管され、今は神社の宝物殿にあるが、この九尾の狐(久美さん)の尾は、千年の年月を経た不思議な力を持つものだから、ある夜、稲荷神社の宮司(神主)の夢枕に立ったといわれ、一九六二(昭和三七)年の晩秋、境内の南の隅に久美社を建立して祭った。いろいろと願いごとがかなえられるというので、「久美さん」とよんで、今も参る人は絶えない。
 なお、言い伝えによると、この九尾の狐の尾は、九州佐賀藩鍋島家に代々伝わる秘宝で、日本には、二つとないものであったというが、あるとき、蔵番をしていた家臣によって、ひそかに持ち出されたものだという。