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伊予市誌

七、九門修理と虎月毛 (大平)

 九門修理の墓は、大平の梶畑にある。修理は蒲冠者源範頼の家来で、範頼の愛馬「虎月毛」を範頼の死後も、この梶畑で大切に世話していたが、ついに、この馬を残して病死してしまった。さぞ心残りであったろう。
 残されて、誰も世話する者のいなくなったこの虎月毛は、大平の野山を風のように走り回っていた。しかし、よく出来た馬で、農作物など荒すことは、決してなかったという。このようにして、虎月毛は長く生きていたが、ついに死んだ。そこで、この死がいは、村人たちの手によって、寺下の御所川原へ畳二枚ほど敷いた上に捨ておかれた。ところが、村人が七日目に行ってみると、虎月毛の姿は、毛一本も残さず消え失せていたので、
「ほんとうに不思議なことだ。」
と話し合ったという。
 今、森川に「馬渡し」という所があるが、この虎月毛がよく渡った所だったのだろう。そのころ、曽根の大ささぎ神社横の道を夜ふけなど通っていると、川向こうの梶畑辺りで、よく馬のいななく声がしていたという。
 修理の墓は、その後いつの間にか村人たちに忘れられていったが、あるとき、馬に訳のわがらぬ病気がはやり出して、村人たちは困ってしまった。すると、ある村人が、
「これは、あの虎月毛を可愛がった修理さんのことを忘れてしもて、お墓へもあんまり参らんようになったから、こうなったんじゃ。」
と言ったので、村人たちみんなもなるほどと思うようになった。そこで、庄屋は村人だちと相談して、修理の墓をきちんとして、祭るようにし、更に蛇頭山の麓に塚(土を高くもって作った墓)を築いて、死んだ馬を手厚く祭るようにしたので、それから後は、馬の病気はなくなったという。