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伊予市誌

一、共同作業

 村は共同体を温存してきた。年間を通じて部落が総出で出役する場合は、井手ほり(年一回)、道つくり(春と秋の年二回)など全員で共同作業を行い、あとは修繕など臨時の出役がある。
 また、年中行事や信仰行事にも、各戸一人は必ず出役するなどの義務があるが、これら出役を「公禄」または「門役」ともいった。事情があって、参加できないときは、日当を支払わなければならなかった。
 これに対して、個人間の労力交換や共同作業を「てまがい」といった。しかし、これは、時に労力の合同を意味しているところから「公禄」と呼ぶこともあり、その間の使途は今日かなりあいまいになってきている。一般的にいって「公禄」は食事など自分持ちを原則とするのに対して、「てまがい」は先方持ちというのが目立つ特色といえよう。この「てまがい」の場合、お互いに気が合った者同士の労働交換などが、今日まだ農繁期などで残っている。まだ、面河ダムの水の来なかった昔、干ばつで水不足のため田植えができないときは共同田植えをした。いわゆる「もやい植え」であるが、それには「歩植え」と「押し田植え」がある。「歩植え」は、水田耕作面積に比例して各戸平等割りで田植えをする方法であり、「押し田植え」は、水の手の上手から下手ヘ一挙に植えて行く方法である。
 また、春秋の道つくりは門役であるが、池のひじりから流末までを井手ほりといい、これはその関係者だけがこれを行った。「公禄」に事情があって不参のときは、「でぶそく」として日当を拠出しなければならなかった。