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伊予市誌

一、昔の村

 伊予市は藩政時代大洲藩と新谷藩(市場・稲荷・三島)に属し、合併前の南山崎村は、鵜崎・両沢・上唐川・下唐川・大平の五か村、北山崎村は、三秋・中村・森・本郡・尾崎・三島町・市場・稲荷の一町七か村、郡中村は上吾川・下吾川・米湊の三か村、郡中町は、灘町・湊町の二町、南伊予村は、八倉・宮ノ下・上野・上三谷・下三谷の五か村であり、村では庄屋、組頭、百姓代、本門、家子門など、町では年寄、組頭、本門、借家人などで構成されていて封建社会の末端支配を兼ね、自治的な村落社会を形成していた。庄屋は村内のあらゆる世話を一手に引き受けていたので、仕事の内容はずいぶん複雑であった。中でも年貢をとりたてる任務が大きかった。年貢は、石高を調べた台帳、すなわち、検地帳を手元に備えていて、これと名寄せ帳を基礎にして年々まちがいなく取り立てていたのである。