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伊予市誌

三、黒住教

 教祖黒住宗忠が、一八一四(文化一一)年の冬至の早朝、自ら天命直受を感得した。本部は岡山市にあって、主祭神は天照大神と八百萬神並びに教祖宗忠神で、宇宙の親神天照大神の大道を宣布し人類を救済しようとするものである。教勢は年々盛んとなり、現在全国に約四〇〇の教会所がある。

 黒住教灘町教会所
 当市へは明治初年に、岡山から本田応之助が来て熱心に布教に従事し、久万の石田佐吉もともに布教活動に加わり、教勢は日に隆盛となった。一八七七(明治一〇)年には、米湊米田愛蔵、上三谷武智甚吉、坂出生まれの木村忠良らの尽力で、岡山の本部から御分霊を奉斎して、灘町三五番地の現在地に黒住教灘町教会所を開設した。次いで、一九〇三(明治三六)年に郡中小教会所と改称し、一九一七(大正六)年には本殿を改築、一九七七(昭和五二)年は再度改築(現在のもの)した。太平洋戦争の終わった後は社会情勢の変転につれて教勢も衰退したが、一九五四(昭和二九)年には、本部から白石佳弘が所長として着任し教会所の復興に努め、栄町岡部仁左衛門らの尽力もあって、翌年には社務所の改築や別館の新築、結婚式場、披露宴会場の開設などをした。更に、一九五八(昭和三三)年には本殿の大修築をし、一九六二(昭和三七)年には中教会所に昇格し、一九六七(昭和四二)年には創立九〇年大祭を執行した。
 現在信者は伊予市一円のほか、中山町・双海町・松前町・砥部町・松山市の一部などにわたり信者は三〇〇人ほどである。
 広さ三〇〇坪余(約一〇㌃)の境内にある鉄筋コンクリートニ階建(約二〇〇坪)の建物には、本殿・社務所並びに会館があり、前庭には岡部仁衛門の銅像が建っている。
 教会所の行事として、教祖大祭(四月二二日)・夏越大祭(七月二二日)・冬至大祭(一二月二〇日)・節分祭(二月三日)・開運祭(毎月二二日)。中でも夏越大祭は伊予市三大夏祭の一つとして参拝者も多い。