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伊予市誌

二、金光教

 一八五九(安政六)年一〇月二一日、教祖川手文治郎(金光大陣)が天地金の神の啓示によって立教宣言をし、日の神・月の神・金の神を合わせて新たに天地金の神という信仰の対象を定めた。そして教祖自身がこの神によって助けられたので、この道を人々に伝え信者を真の生活へ導いていくことを専心勤めるようになった。このことを「取り次ぎ」といい、その取り次ぎによって、人々が次々に人生の苦しみから救われ助けられるというのである。こうして助けられた人々が、また他の人々を教祖の働きかけを受けて、助け導くことになった。このようにして次第に多くの金光教信奉者ができて、国内はもとより海外にまで教会を設立して、布教活動を行い現在の金光教を形づくるに至った。その間、一八八五(明治一八)年六月には金光教教団が設立され、取り次ぎの業は二代金光貫之、三代金光摂胤と受け継がれ、さらに四代の金光鑑太郎が継いでいる。

 金光教伊予市教会
 当市では一九一四(大正三)年、大河原八十吉が金光教郡中教会を旭町に設立して布教に従事した。次いで一九二三(大正一二)年田中儀一郎は灘町二二三番地の一の現在地に教会を新築移転した。その後、田中寿栄、田中瀞、田中信雄が相次いで教会長となり、昭和五八年田中聖生に引き継がれ、教会の名称も一九五七(昭和三二)年には宗教法人金光教伊予市教会と改められた。
 広さ一五〇坪(五㌃)の敷地内には会堂(合掌造り四八坪)・教職舎(二階建四五坪)・信徒会館(二〇坪、昭和五〇年新築)などがあり、教徒・信徒・求信者は現在三〇〇人以上に及んでいる。
 教会所の行事としては、元日祭(一月一日)・大祭(四月一七日)・教祖大祭(一〇月一七日)・春秋季霊祭(三月二三日と九月二三日)・大祓感謝祭(六月三〇日と一二月三〇日)・月例祭(毎月一日九日二三日)の恒例儀式のほか奉告祭・祈願祭・感謝祭・帰教式・祖先霊祭・結婚式・葬祭などの臨時的行事を行っている。