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伊予市誌

一、天理教

 一八三八(天保九)年一〇月二六日、教祖中山みきが神憑りにより、親神天理王命の天啓をさずかって開教したのが天理教である。そして、親神の考えによる世界一れつ陽気ぐらしの実現を、立教の本旨としている。本部は奈良県天理市にあって、天理教教庁といっている。はじめは神道本局に属していたが、一九〇八(明治四一)年に独立して、教勢を広めていった。

 天理教郡中分教会
 伊予市湊町五六番地にあり、現会長は西山勝志である。その沿革をたどると次のようである。
 一九〇〇(明治三三)年ごろ、天理教大洲分教会から松村好五郎が、郡中地方に来て熱心に布教に専念したので、信者は次第に多くなった。そこで、一九〇七(明治四〇)年に、本部を経由し県知事の認可を得て、郡中村米湊六四八番地に教会を設立した。次いで一九一二(大正元)年には、郡中町灘町四一番地へ教会を移転新築し規模も拡大した。しかし、そのころ教勢は次第に衰退していった。一九二五(大正一四)年西山光広が、布教に当たるようになり教勢がようやく回復されて、一九二九(昭和四)年には教会を現在地に移転した。
 湊町本通りに面した二五三坪(八・三五㌃)の敷地には木造瓦ぶき教会堂が建てられ、神殿及び礼拝場・客室・信者室・会長宅などがある。現在多数の信者があり、伊予市内だけでなく県下各地や県外にも散在している。
 教会では、毎朝夕の勤行、月次祭の勤行と説教、信者の講社祭、一般布教、おさずけの取り次ぎなどの行事を行っている。

 天理教南郡中分教会
 伊予市米湊七反一四一一の三番地にあり、現会長は小笠原正雄である。当教会は一九一六(大正五)年天理教五十崎支教会の役員伊達シマノが、大平(現伊予市大平)へ初めて布教所を設置して布教に努めていたが、一九二五(大正一四)年現在地に移し、会堂を建築して南郡中宣教所といった。続いて、一九三九(昭和一四)年に南郡中分教会と改称し、一九五三(昭和二八)年に宗教法人として登記した。初代会長伊達忠雄、二代は小笠原杢太郎、三代は小笠原麻子で現会長は四代である。現在の信教徒は各地に散在し、その数は一〇〇人以上に及んでいる。面積二八〇坪(九・二四㌃)の敷地内には一九七九(昭和五四)年大改築を行った教堂(木造瓦葺平屋建四二坪)と教職舎(同上三一坪)がある。行事としては月次祭(毎月六日)・大祭(一月六日・一〇月六日)・春秋例祭(三月七日・九月七日)・感謝祭(不定期)などの祭典を行うほかに、臨時少年会を開いて、広く地域や信徒の少年の指導にも当たっている。