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伊予市誌

2 明治時代の寺院

 奈良時代から千有余年にわたって行われてきた神仏習合の風潮は、王政復活とともに改革の必要を叫ばれて一八六八(明治元)年神仏分離令(正確には神仏判然の令)が下された。これによって、従来の権現号や菩薩号が廃止されて、神仏の区別が明確にされたり神社に仕えていた別当や社僧が還俗したり、神社の境内から仏教的な建造物や施設が、一切撤廃されて神道の国教化と教政一致の制度が実現されることになった。また、一八七二(明治五)年に政府は僧侶の肉食妻帯蓄髪を自由とし、法用以外は一般人と同様の服装をしてもよいことにしたり、従来、女は神社寺院の境域への参入を禁制するところもあったが、その禁を解くなど次々とお触れを出した。次いで翌一八七三(明治六)年に政府は「僧侶の位階を自今廃停する」と、保護政策を打ち切ったので、事実は仏教信仰の後退となり、やがて寺院の経済的窮迫をきたすことになった。